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(24年11月1日(金曜日)新設)

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上から最新記事です。

*不定期の更新です。また、個人情報保護の観点から、画像を掲載する場合は一部加工している場合があります。

【ちょこっと、食育。(25)】24年12月17日10時1分更新)

 私が工夫していることは2つあります。

 1つ目は「素材を活かした料理づくり」です

  例えば肉野菜炒めをつくるときは、お肉の油を使って余計な油を使わないようにしています。さらにお水も野菜の中に入っている水分を使うので余計な水を使うことなく、しかも水分が増えないので素材の力だけで濃厚な料理を作ることができます。

 2つ目は「旬のものを使うこと」です。

 旬のものは値段が安いことが多く、よく育っていて栄養価も高くておいしいというメリットがあるからです。これを書いているときは12月ですので、冬が旬の食材を見つけて使うことにしています。かぼちゃ・長ネギ・大根・白菜などつい手に取って買ってしまいます。さらに私は魚が好きなので旬の魚をスーパーなどで探します。食べたくなる魚は「ナメタガレイ」という魚です。子持ちのナメタガレイを煮つけにするととってもおいしいです。仕事を遅くまでし、10時ごろ家に着くというときにどうしても食べたくなって、10時から作って11時にナメタガレイの煮つけを食べていたことがありました。

食べ物の素材を活かして、すてきな食育ライフをお送りください。(岡本宏大)

 

●「おかげさま」の気持ち。24年12月12日16時23分更新)

 あっという間に12月ですね。もーいくつ寝ると…というにはまだ少し早いですが、気持ちはそんなところです。
 むかしむかし、自分の田舎では年の瀬せ迫った時期にはご近所を回ってご挨拶をする風習がありました。そのときにはよく祖母と一緒に回ったものです。いつも、うんと深く腰を曲げながら「今年もおかげさまで年を越せそうです。また、来年もよろしゅうお願いします。」と挨拶をしているわけですが、相手はいつも決まって「いいえ、なんの。こちらこそ、おかげさま、お互い様ですわ」と返してくれるのです。うちにもご近所さんが訪ねてくるわけですが、「おかげさま」でという言葉は、絶対に欠かされません。もう、普段も道端で出会ったら「どうも、元気そうで」「いやぁ、おかげさまで」とこんな会話が繰り広げられていました。
 「おかげさま」という言葉には、「自分ひとりでは成功させられなかった」という謙遜の意味が含まれるわけですが、ともすれば、「すべて自分の力で生きている」と勘違いをしているような人の振る舞いを目にすることが増えたように思いますが、じつに奥ゆかしい美しい文化であり、言葉だと思います。自分も含めてのことではありますが、今、とくに足りないと思うものの一つが、この謙虚さというか、「おかげさま」の気持ちだと思っています。
 先日、たまかん祭が行われました。本当に多くの方が携わっていただく中で、大成功に終わりました。たくさんの生徒の笑顔と、職員の笑顔、保護者の方の笑顔を見ることができて幸せな気持ちになりました。この幸せな気持ちは、コロナ禍前のたまかん祭を知っていて、なおかつ、コロナ禍でのたまかん祭を守るための苦労を目の当たりにし、そして、戻った日常を実感できた自分だからこそ強く感じた感情なんだと思います。昔、たまかん祭は「PTAバザー」という名前でした。ここ10年くらいで今の名前になりました。PTAっていうと「保護者(P)」のイメージが強いけれど、「教職員(T)」も一緒に学校環境を整えていくのが「PTA」なんです。そうだとすれば、PTAバザーは、「P」と「T」が一緒に、協同的に子どもたちのために取り組むことができる大切な行事なわけです。有馬中のたまかん祭は、みているとそんなことを実感ことができる場面がたくさんあります。
 PTAの役員や、運営委員のみなさんは、準備のために夏休み前から様々な調整を行うわけですが、当日や前日準備の段階には、さらにボランティアの方も加わります。そして職員や生徒も一緒になって準備、運営を行うのです。子どもにとっても普段とは違ういろいろな人たちとの交流ができる時間が過ごせるのですから、ありがたいことです。
 たまかん祭を終えて、PTAの役員、運営委員の皆様から生徒や教職員にむけたメッセージを頂きました。たぶん、事後反省アンケート等に記入されたであろうメッセージを寄せ集めてくれたものでしょう。そのメッセージには、たくさんの感謝の言葉が綴られていました。準備や当日の運営の中で触れ合った子どもたちのちょっとした気遣いの言葉への感謝、職員の活動に関して寄せられた感謝、本当にたくさんのメッセージです。これを子どもたちに伝えたらば、屈託のない笑顔を浮かべながら喜んでいました。「また、来年も手伝いたいです」「来年も参加します」そう話してくれる生徒たちをみて、「おかげさま」で子どもたちも、そして自分たちもいい思いができたわけです。
 そんな子どもや私達を笑顔にしてくれるような言葉を送ってくださった皆様や、行事を作り上げてくださった皆様に心から伝えたいです。
「おかげさまで、素敵な1日になりました。」
 

●進化することと、なくしてはいけないこと。(その2)24年11月26日12時41分更新)

 ずいぶんと間が空いてしまいましたが、続きです。
 学校現場でも、社会一般の変化よりはずいぶん遅れてはいるものの、様々な進化が始まっています。特にコロナ禍で「GIGA端末」の配備が一気に加速したと思いますが、子どもたちはしっかりと活用しています。私達も職員研修などで、GIGA端末の様々な活用方法を学んでいます。アプリなどの活用法も学びながら授業改善を目指すわけですが、なかなかうまくいかないことも少なくありません。
 さて、これらの進化は、学習のあり方をはじめとして様々な可能性を私たちに示してくれました。たとえ、コロナ禍でおいても教育を止めないという点においては、その功績はとても大きなものだと思っています。しかし、その進化の一方で、結果的に衰退していったものもあるわけです。下に「チャットGPT」や「生成AI」などの話題を出しましたが、このような技術を活用する一方で、自分で考えながら書くことや、話すことが極端に疎かになっていると感じる瞬間が増えました。結局、現在も人との関わりの中で、自分の考えを自分の言葉で伝え合いながら交流する場面はたくさんあるわけですが、そんな取り組みをしてきていない人は、そのような場面で苦労するのではないでしょうか。
 私は、これらの能力は、訓練をすることによって身についていくものだと思っています。自分で考えるためには、当然ですが、普段から自分で考えなければなりません。文章を書くことも同じで、普段からどれだけ文字を書くかということが大事なことではないでしょうか。ある一定程度は、ある種のセンスみたいなものでカバーすることもできるのでしょうが、社会に出たときに通用するほどの能力を身につけるためには、やはり普段からの訓練が不可欠だと思います。例えば、上級学校の入試面接でもいいですし、企業などの就職面接でもいいですが、そこでは、全部自分の言葉で考えて話さなければならないし、そして、論文などにしても自分の言葉で書き綴るわけです。そこで求められるのは、最適解を導くために適切なワードで「検索する」センスやスキルではありません。チャットGPTや生成AIなどを否定するつもりはありません。
 先日、他の学校の先生とこんな話題になりました。「最近は道徳の授業も、自分の考えを端末のアプリを活用して入力させています。」そう話す若い先生は、GIGA端末のアプリを開きながら端末が無限の可能性を与えてくれたと意気揚々と話してくれました。昔、道徳は、「机を教室全体でコの字型にして、意見を言い合う場」でした。私の中学生時代もそうだったけれど、教員になって教わった道徳もそうでした。黙々と机の端末に向かいながらキーボードの音が響く教室。意見の交流とは無縁の授業は、個人的にはちょっと違和感を感じるし、さみしい気持ちも。時代ですね、とその若い先生はいっていましたが、その時代の進化の中でも、なくしてはいけないことは確かにあるわけで、その判断を私達が間違えないようにしたいところです。(終わり)

 

【再掲】●進化することと、なくしてはいけないこと。24年10月23日10時56分更新)

 「チャットGPT」、「生成AI」…しばらく前にこんな言葉が出てきましたが、最近学校現場でも耳にする機会が増えました。すごい技術革新ですね。もう、追いつくのがやっとというか、追いつけていないとすら感じます。便利ですね。ほんの十数年前には、「不可能」だと言われたような技術や、ものが作り出されていくのをみて、この先どんな社会になり、どんな生活をすることになるのか、そんな不安を感じることがあります。自分は、「不安」を感じてしまうわけですが、世代によっては、これは「期待」だったりするのでしょうか。
 なぜ、こんな話題を書いてみようと思ったかをお話しましょう。
 先日通勤する電車の中で、ランドセルを背をった小学生の会話。「レポートできた?」「チャットGPTでいい感じ。」「提出先のクラウドってどれだっけ」…会話のほんの一部です。もう、しーんと、静まり返った車内で繰り広げられる会話に釘付けになってしまいました。たしかに、学校にはGIGAスクール構想によって一人一台の端末が導入されました。中学校でも端末を使用して小テストを行ったり、課題の提出をしたりとそんなことも当たり前の日常に。班などでの話し合い活動も端末を活用しますし、調べごとも今や端末さえあればこと足ります。社会の授業などでも数年前の授業では、必死に辞書で調べている姿が見られましたが、今は、端末一つで、極めて詳細な情報を入手することができます。時代の流れは、明らかに変化しています。それも急激な変化。わたしたちは、そんな時代の流れの中で生きていく術を教えなければならないわけですが、正直にいうと、個人的には憂いも感じているわけです。そんな話題を少し。(続く)
 

【ちょこっと、食育。(24)】24年11月8日10時9分更新)

 私はおおよそ毎日夜の8時から9時に学校を出ます。皆さんはその時間にスーパーに行ったことがありますか? 閉店間際になると、売れ残ったお肉やお惣菜の半額セールがやっています。そこで私は少し良い肉を買って、よく家で焼いて食べています。しかし、肉を焼いた後に残り油が出てしまいます。
 油でギトギトの鍋を仕事から帰ってきた後に洗うというのは、なかなか気が進まないものです。そこで、私が最近やっているのは「残り油で卵焼きを作る」です! なんと卵焼きを作った後の鍋にはほとんど油がついていません。卵焼きには肉のうまみが染み込んでいておいしいですし、鍋もさっと洗えるので水道代も節約できます。
 ご家庭でもぜひ試してみてください。(増田圭一)
 

●たまかん祭は、「笑顔」のために24年11月1日20時34分更新)

 以前掲載した、「進化することと、なくしてはいけないこと。」の続きは、少しお待ち下さい。
***
 さて、明日は、「たまかん祭2024」。たくさんの人で作り上げる、大きな行事です。
 コロナ禍ではできないことも増えて大変でしたが、そんな中で子どもたちの希望になればと、当時のPTA役員さんたちが工夫に工夫を重ねて守り続けてくれた、たまかん祭。たくさんの苦労がありましたが、その苦労を一瞬で吹き飛ばしてくれる、たくさんの笑顔。
 一人一人の笑顔のために、いちばん大変な時期に、踏ん張ってきたたくさんのPTA関係者、保護者、地域の皆様。今日の準備の様子は、5年前までのまさに、「活気あふれる学校」でした。コロナ禍の学校はまさに閑散として、とてもさびしい空間でした。いろいろあった4年間でしたが、そんな時間が、当たり前の大切さというか、当たり前であることのありがたさを実感させてくれるひとときでした。
 
 今日は午前中から、たくさんの役員、ボランティアの皆様、そして午後にはたくさんの教職員、生徒のみなさんも一緒に準備をしました。PTA会議室では、20時半を過ぎた現在も、たくさんの役員さんが最後の準備に取り組まれています。本当に頭が下がる思いです。
 たまかん祭の準備は、数ヶ月前に企画するところから始まります。平日も休日も、打ち合わせ。当日スムーズに、そして事故なく進むように、調整と変更の繰り返し。きっと、仕事の合間にも、家事の合間にも。そんな話を聞いてどのように感じますか?なぜ、そこまでして、と思いますか?
 負担は、相当大きいと思います。けれど、それぞれがフォローし合ってくれます。でも、やっぱり負担はきっと小さくないはず。なぜ、乗り切れるのでしょうか。なぜ、手を抜くことなく向き合えるのでしょうか。
 その答えは、当日わかるはず。学校中にあふれる笑顔なんです。それで、どんな苦労もすべて報われるんだと思います。
 学校の教職員のひとりとして、そしてPTAの一員として、学校の応援団がたくさんいて、生徒たちは幸運だと感じます。明日も役員さんをはじめ、多くのボランティアの皆さんが運営に携わってくださいます。ボランティアの人数が足りないというアナウンスをしたところすぐにたくさんの方が呼応してくださいました。感謝の気持ちでいっぱいです。
 明日、有馬中学校にはたくさんの笑顔がみられるはず。素敵な一日になりますように。
 かかわっていただいている、すべての皆様、明日よろしくお願いします。
 

【お知らせ】「管理者のつぶやき」は新ページへ移行します(24年11月1日19時55分更新)

 さまざまなことをつぶやいている、「管理者のつぶやき」のページですが、いつもご覧いただきありがとうございます。
 行事などに併せて写真掲載も多く、容量的に更新時にさまざまな不都合が生じてきましたので、新しくページをつくりました。今後はこの(今ご覧のページ)ページを更新していきますので、引き続きよろしくお願いします。なお、旧ページへは、タイトルしたリンクから。(管理者)