ここは、【学校の様子やできごとについて、管理者が何となく、つぶやく】ページです。

(21年12月24日(金曜日)開設)

上から最新記事です。

*不定期の更新です。また、個人情報保護の観点から、画像を掲載する場合は一部加工している場合があります。

【行事】●(ハーモニー級、PTA合同)地域清掃23年12月20日12時7分更新)

 今日、9時からハーモニー級とPTA1学年委員会合同の地域清掃を行いました。とても、たくさんのボランティアの皆様が参加をされました。一時は人数が少なくどうなるかと思いましたが、再度の呼びかけにお応えいただき感謝です。コロナ禍では中止が続いていたこの行事も、昨年度復活。
 今日は、天候に恵まれたものの寒さ…。それでも、ハーモニー級の生徒は、ボランティアの保護者の皆様との交流も楽しみながら取り組んでいました。その様子を、少し紹介します。
たくさんの方にご協力をいただきました。
以下、活動の様子です
 
 ご協力いただいた、保護者の皆様、委員会の皆様、朝早くからありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたしますm(_ _)m
 

●すべては、「自分ごと」であることから。23年12月19日18時57分更新)

 先日、3年生の社会の授業でこんな課題を出しました。
 次の「状況」を踏まえ、課題解決に取り組む活動です。班で取り組みました。
状況】過疎化の進む地域で、乗客の減少により大幅な赤字を抱えた鉄道会社が、路線を廃線することを決定、発表した。
課題1】路線を廃止することで、起こる問題点を具体的にあげて、その具体的な解決策を考える。なお、廃線後なるべく早く実施すべき解決策(短期的課題の観点から)。
課題2】路線の廃止とはかかわりなく、過疎化の進む地域で改善を目指さなければならない問題点と、その具体的な解決策を考える。なお、過疎化の進む地域で、その問題を根本的に改善するような解決策(中・長期的課題の観点から)。
 これらの課題に対して、自治体の首長になったつもりで、課題解決の方法を探る、そんな時間です。
 2年生の地理的分野で、「過疎化」については学んでいます。しかし、その知識だけでは答えは出すことができません。様々な知識や情報、想像力を働かせて協働して答えを探る活動です。多くの人は、このような過疎化などの状況におかれた地域に済んだ経験がないので、イメージがわかないでしょう。けれど、少し意識して考えてみると、いたるところにヒントがあります。少し前に、ここにも書いたある自治体の首長と議会の問題について調べていた人がいる班では、そこでの定例記者会見で首長が話した話題が課題解決のヒントとなっていました。
 今、私達が国際社会の中で「共存」していくために、一番大切なことは「想像力」だと思います。これは、自分の考えなので、正解かはわかりませんが。紛争が起こっている国のことや、食糧不足の国のこと、そんなことを考えてみても、自分たちの身近な問題ではないため、やはり他人ごとになってしまいます。それは、仕方のないことですが、やはり、「知らない国や場所で起こっていること」ではだめなのであるとすれば、想像力で自分たちの活動、姿勢を補っていくしかないのではないでしょうか。
 そして、遠い国の話でなく、自分の住む国のなかで起こっている問題ならばなおさら、関心をもつことが求められるのではないかと思いますが、その関心を持つことの第一歩が「想像すること」だと言えます。
 上にあげた課題の正解は、じつはたくさんあります。厳密に言えば、自治体の大きさや予算の規模、廃線される路線の営業距離、地形、人口密度、年齢構成などさまざまな条件により、変わる部分はありますが、あらかじめ、〇〇ならばこう、△△ならばこう、と条件を決めてしまうことで、より具体的な解決方法を検討することもできます。地域の行政は首長を中心とした執行部が担いますが、地方分権、地方自治の主体は「住民」です。ですから、結局は、このようなことを考えていく姿勢は、自分の住む地域のことを考えていくことにつながるのだと考えています。
 ちなみに、私の出身地の最寄りの路線は、単線で非電化の地方交通線ですが、市街地を結ぶ路線でもあり、通勤通学に利用する人もそれなりにいるので廃線がいわれ続けていますが、現在も残っています。もっとも路線に並行して国道もあり路線バスも走っているので、仮に廃線になったとしても住民の生活に致命的な影響がでることはないかもしれません。しかし、北海道などの地方交通線となれば話は別です。一番近い病院は30キロ先の隣町、なんていうことはざらにあり、冬場ともなれば移動も簡単にできなくなります。そんな、我が国が抱えている過疎化や高齢化の問題へ向き合うことは避けては通れない問題です。そしてそんな課題を解決するのは、柔軟で常識にしばられないアイデアなのであることはまぎれもないことだと思います。
 私は、大学である教授が話していたことが耳に残っています。「君たちは、なぜ、義務教育を終えたのに、高校へ、そして大学へ進んだのか。まさか、それは自分のためではないだろうね。君たちが、ここで学び、研究する理由、それは、そのことを、その知識を必要としている、ここで学ぶことのできない他の人のため、他の国のために使うためなのだ」ということば。そして、その先生は、このように続けました。「我が国も、世界も若い君たちの想像力と、行動力、そしてアイデアを必要としている。そして奇抜で意外なアイデアは、ここで学んだことを根拠とすることで、単なる若者の戯言ではなく、社会を動かす、強力な原動力となる。」と。当時、大学には90分の講義の間淡々と、しゃべり通す先生が多かった中で、熱くそんなことを学生に伝えていた先生の言葉が耳に残っています。学生の中には、そんなことを熱く話す教授を笑う様子もありましたが、自分の中には、すごく強く残っている言葉です。
 今は、自分たちの生活を守っていくことに精一杯な社会であるように思いますが、まわりのことに目を向ける余裕がもう少しできると良いのではないかとも思います。
 授業でそんなことを考えるきっかけをつくるのは簡単ではありません。試行錯誤です。けれど、人はいろいろなことを「自分ごと」として考えることができるようになれば、可能性は無限に広がります。3年生は今、進路の動きの真っ只中にありますが、ちょっとだけ、自分がなぜ、高校に進むのか、そしてその先の進路を見据えるのか考えてみてほしいと思います。「親が、高校、大学ぐらいは出たほうがいいから」という理由は、寂しすぎます。
 

●久しぶりの更新は。23年12月15日18時15分更新)

 久しぶりの更新。とくにネタが無いわけではなく、書きたいことはそれなりにあるのですが、なかなか手がつきませんでした。もっとも、ここは「学校日記」とは名前がついていますが、もともと義務的なものではなく、ゆるーく、自由に、共有したいことを勝手につぶやいてみる場所としてはじまっていますので、お許しを。
 さて、学校では、さまざまな行事が終わっていき、年度末を意識しはじめる時期がやってきています。先日は、学区の小学6年生を迎えて、授業体験と、部活動体験を行いました。2年生や1年生が中心になって迎え、授業の補助や部活動体験の運営を行ってくれました。それと、先週、新入生保護者説明会も終わりました。年明けには、1年生が自然教室へ八ヶ岳に行きます。
 3年生は進路の動きが本格化しています。いわゆるコロナ禍を終えて2023年を終えますが、少し慌ただしい時間が多すぎた印象です。コロナ禍前は、そう感じることはあまりありませんでしたが、あの3、4年を経験した今、とくにそう感じます。とにかくいつも以上にゆっくりと振り返る時間がほしいと思っていますが、無理でしょうか。
 

【ちょこっと、食育。(17)】23年12月6日10時20分更新)

 突然ですがクイズです。「米」という漢字の由来が「八十八」の理由は、次のうちどれでしょう?
 (1)田植えから収穫まで88日かかる
 (2)実るまで88回の手間がかかる
 (3)1つの稲に88粒実る
 (4)毎日食べれば88歳まで生きられる
…答えは最後に書きます!

 私は、新潟県の農家で生まれ育ちました。今回は私が経験した米作りについての話です。
 お米を作るには、まず4月に行う「すじまき」という稲の種まきから始まります。ビニールハウスに苗箱を並べて苗の芽が出るのを待ちます。温度や湿度、水やりの量やタイミングが肝心です。
 5月、GWの時期はひらすら田植えです。田植え機のフル稼働で、連休後には辺り一面に緑のじゅうたんを敷いたような風景になります。
 10月には稲刈り。これまでの猛暑や台風に耐え抜いた屈強な稲を収穫していきます。美味しいお米をいただくには、まだまだ多くの手間がかかります。…さて冒頭のクイズの答えはもう分かりましたね。
 
 正解は(2)です。

 中学生の頃の私は、GWはどこも出かけられず、泥だらけになって田植えの手伝いをするのが田舎くさくて嫌で仕方ありませんでした。でも、今思い返すと、あぜ道に座って家族や近所の農家の人と一緒に過ごした時間や景色は忘れられない大切な思い出です。米作りという農業を通して人とのつながりを感じました。今年収穫されたお米は12月31日までが新米と呼ばれます。ぜひ新米を味わってほしいです。
(鈴木 ゆかり)
 

●秋におすすめの、鉄道旅。23年11月14日20時41分更新)

 今日、「進路」についての最終話をあげていますが、思い出したことがあり、忘れないうちに。連投。
 先日、文化祭の時に、ここの記事を読んでいただいている保護者の方に質問されました。以前書いた、夜行列車の記事を読んだ方からの質問。「列車の旅がしたい、おすすめの列車はありますか。」…お答えしましょう。まず、自分の書いた記事を読んだことを前提としているので、列車を移動手段としてではなく、「列車そのものを楽しむ」ことを趣旨とした提案です。ですので、記事にしたような乗りつぶし旅の雰囲気を味わいたい、とか、忘れかけていた「ガタンゴトン」というレールの音をたらふく感じて、感傷に浸りたい場合をのぞいてはおすすめはしません。
 【おすすめの列車】高尾発、長野行普通列車(列車番号441M)。東京の高尾を14時9分に発車し、甲府、塩尻、松本を経由し、18時51分に着きます。これ、普通列車なので、特急券は不要です。お得ですよね。中央本線では甲府や松本方面への特急列車が新宿から頻繁に出ていますが、甲斐大和で1本に抜かれるだけなんです。このあとの後続のかいじ31号にもあずさ33号にも抜かれずに松本まで先着します。ちなみに、途中駅は55駅、距離は245キロ程度ありますが、これを5時間弱で走ります。むかしは、長距離列車はたくさんありました。長門市から福知山まで通す列車なんかは早朝5時に出発し、終着には23時着。東北にも北海道にもそんな普通列車がたくさんありました。今は壊滅的ですが、この長野行きの普通列車は、東日本では最長の列車かと。最近までは熱海から黒磯までを通す列車が一番だったと思いますが、宇都宮から先がワンマンになった関係で途切れたと思います(たしか)。とにかく手軽に「列車旅」を経験できます。楽しめるかはわかりません。
 
 途中の甲斐大和で8分止まる以外は、松本などの主要駅でも3分程度しか止まらないので、買い物はほぼできません。あらかじめ準備しておくことをおすすめします。長野まで我慢して、長野で美味しいお蕎麦を食べるのもいいかもしれませんが、お店は閉まっている可能性もあります(開いているそうです。長野のゆかりのある人にばかにするなと叱られました)。
 安心してください。車両にトイレはあります。しかし問題は、「ロングシート」の編成と「クロスシート(向かい合わせ)」の編成が混在していること。つまり、どちらがやってくるかは運次第です。クロスシートならば風景も楽しめますが、ロングシートの車両がやってきたら、東急線に5時間乗っているのと同じことかもしれません。景色を観るために首を窓側に向けていると、首も痛くなりますし…。まあ、それも旅の醍醐味ですね。諦めましょう。あ、ただ、ロングシートの車両がやってきてもトイレの前だけは2人がけのクロスシートですね、たしか。まあ、なんとなく座るのは考えてしまいますが…。中央線は南アルプスや八ヶ岳の広大な景色を楽しめる山岳路線です。また、勝沼ぶどう郷あたりからの甲府盆地は最高の眺め。経由をする篠ノ井線の姨捨付近は日本三大車窓で有名です。善光寺平も絶好の車窓ですね。スイッチバック構造も残っています。
 どうですか、みなさん。この列車に乗ってみたいと思っているはずです。長野か軽井沢あたりで一泊して、翌日は新幹線で帰ってくるとよいでしょう。心地よい秋の季節、車窓から紅葉狩りを。
 

●「進路」について(その3)23年11月14日13時49分更新)

 さて、私の小さな頃の夢は「総理大臣」でした。ぜんぜん、深い意味はないと思うんですよね。本当に。総理大臣は「国のリーダー」というか、「偉い人」というイメージで、「エラくなりたい」とそんなことを考えていたように思います。幼稚園児でしたから。ただ、友達にはウルトラマンになりたいとか、仮面ライダーになりたいと言っている子もいたので、余程現実的な夢だと思っているのですが、どうでしょうか。
 さて、それからずいぶんたって、総理と呼ばないで、というようなタイトルのドラマを見て衝撃を覚えたのを思い出します。たしか、主人公の総理大臣が不信任を可決され、退陣の挨拶をする場面です。憲法前文の内容にふれて、『一度でいいから憲法を手にとって読んでほしい、そして、政治に愛想をつかすのはまってほしい、少なくとも今回正しく機能した(皆さんの手で、自分のような無能な政治家を政権の座から引きずり降ろした)』というようなことを話し、最後に言ったこと、『子どもに将来何になりたいかときいたら、胸を張って私は、総理大臣になりたい、というような時代が一刻も早く来ることを願い…』というセリフが心に響き、どことなく心の片隅に残っていました。その後、法学部に進み、憲法学を専攻したのは偶然ですが、そこで「憲法前文」に触れた時、そんな心の隅にあった記憶が、とても鮮明に思い出されました。
 ちなみに、3年生は公民で憲法を勉強しました。憲法前文も教科書に載っています。皆さんは、これを読んで、どう、感じるのか気になります。…でも、これは、話題がずれるので、ここでおしまい。今度、授業で感想を聞くとしましょう。
 本題ですが、「15%」なのか、それとも「85%」なのかについて数字そのものに意味のない理由。はからずも、以前書いた記事にもあることですが、結局、「なりたい理由」と「続けたい理由」は全く異なるからです(9月24日の記事を読んでください)。「なりたい職業」に就いてみると思っていたのとずいぶん違うことはたくさんあります。だから、最近はそのギャップをなくすためにインターンシップなどに取り組む企業も増えています。けれども、それも結局は一種の体験でしかないわけですから、完全にそのギャップを埋めることは難しいのかもしれません。
 そう考えるならば、大切なことは、夢に持った職業であるかどうかではなく、「就いた職業をどう思うか」なのではないでしょうか。興味関心は、ふとしたときに移り変わりますからね。そしてこれは、「実際に就いてみなければわからない」ということが最大のポイント。実際に、「何はともあれ、とりあえず就職して、そこで初めて自分の向いていることに気づけて、一念発起、その道を」なんて話はそれなりの頻度で聞きます。
 では、「その仕事に就いたものの辞めてしまった人」は6%程度。この結果についてはどうなのでしょうか。自分の感覚としては多すぎるという印象ではありませんが、「せっかく努力してなったのに、辞めるなんて」という意見が多く聞こえてきそうですし、数字以上にネガティブな印象を感じる人も少なくないのでしょう。石の上にも三年、という言葉がありますが、実際に、続けることに我慢ならないほどの苦痛を感じるのであれば、早々に決断をすることも悪くないと思います。1ヶ月であろうと、3ヶ月であろうと、ネガティブなものであろうとそうでなくとも、その経験はなにひとつ無駄にはなりません。もちろん、そのものを目指すために使った時間だって無駄にはならないのです。
 ですから、どんなことにも挑戦して、さまざまな可能性を探りつつ、本当にやりたいことや向いていることを探してほしいというのが本音です。まあ、これはここだから好き勝手に書けることであり、進路指導でそんなことを言えば叱られるかもしれません。ただ、そんな自分探しの時間すらない慌ただしさが、結局のところさまざまな課題の原因となっているわけですから、若者が、たくさん挑戦して、たくさん失敗しても安心して生活しいける世の中になってほしいと強く思います。
 いつかのドラマのように、夢は何かと聞かれたら「僕は大きくなったら総理大臣になりたい!」と思う子どもが増えて、自分たちの生活や政治の話が日常的にできるような社会になってほしいものですね。(終わり)
 

●「進路」について(その2)23年11月3日9時28分更新)

 この話題、前回の更新から少し時間が経ってしまいました。すみません。
 『2012年にある企業が行った調査によると「一度でも夢の職業に就いたことのある人」は15%程度、「その仕事に就いたものの辞めてしまった人」は6%程度いるそうです(この調査は国や公的機関が行ったわけではありませんが、各世代を抽出して行われたサンプリング調査で、ある程度の客観性があるものと思いますが、あくまでも話題のきっかけとするために取り上げたので、企業名や出典は明らかにしません、ご了承ください)。この数字をどのように感じますか。このことを切り口に話題を広げたいと思います。今日は、時間もないので問題提起まで。次の投稿に続きます。』というところで終わっています。
 
 これを読んでいる保護者のみなさんは「15%程度」か、それとも「85%程度」のどちらですか。少し考えてみてください。ここでアンケートをとっても結果を知ることはできないのですが、興味はあります。と、言っておいてなんですが、今日の話題は、「みなさん15%程度に入れるように頑張りましょうね」という話をしたいわけではありません。そもそも、この「15%程度(一度でも夢の職業に就いたことのある人)」と「残りの85%程度(夢の職業に就いたことのない人)」を比較することにはあまり意味がないと思うのです。そう思う理由をこの話題では触れていきたいと思います。
 最近、「最近の小中高生の(将来の)夢が希薄になっている」という話題を耳にして思ったことを書きます。
 この仕事をしていると、とくに「中学生が」というような話題には敏感になります。特段そのような話題を探して歩いているわけでもありませんが、耳に入れば、それは気になってしまうわけで、職業病みたいなものでしょう。で、この「希薄になっている」というのは、そもそも「夢がない」というのとは、少し違い、「夢がより現実的になっている」という方がより近いニュアンスなのかもしれません。例えば、2、30年前までは、「プロ野球選手」や「芸能人、アイドル」、「国際線のパイロット」など相当の努力をしたとしてもそれだけでは叶えることが難しいと思われる職業があげられていたのに、今は、「公務員」とか、「警察官」とか、「会社員」といった、より現実的なものを思い描くようになっているというのです。この話題は、メディアなどで取り上げられていたわけではなく、調査結果などの根拠が示されているわけでもないので、あくまでも感覚的なものかもしれませんが、この点はなんとなく普段中学生に接している立場として、同意できたわけです。
 突然ですが、私自身が小さな頃からもっていた夢はたくさんありますが、真剣に考えたのは、自衛隊でヘリコプターのパイロットになること、それと警察官。自衛隊のパイロットになる夢は、向き合わなくてはならない課題が多くて途中で諦めざるを得なかったのですが、警察官については、高校卒業後まで考えていましたから、その後、教員にならなければ、警察官の採用試験に挑戦していたように思います。ちなみに、幼稚園から、小学2年生までの夢は、「総理大臣」。結構真剣に、そう思っていました。(つづく)
 

【行事】●駅伝壮行会23年10月26日13時29分更新)

 今朝、全校で駅伝壮行会が行われました。これは、明日、川崎市中学校総合体育大会の最後の種目である駅伝競走大会が開催されるためです。
 昨日、八景島海の公園で試走を行い、今日、全校へ選手の発表を行いました。女子は5区5選手と3名の補欠選手。男子は6区6名の選手と3名の補欠が発表されています。昨年は、女子が全市で優勝、2連覇を目指し、男女での県大会出場を目指します。この大会は、関東大会、全国大会へと続きます。この駅伝競走大会は、8月末から始まった市総体のフィナーレを飾るのにふさわしい、まさに全校を挙げての行事です。どの学校もまさに全校から選手選抜を行います。陸上競技部の生徒だけではありません。ときには運動部ではない選手が選抜されることだってあります。学校中からベストメンバーを選出し、まさに学校の名前を背負って走ります。以前は平間の古市場競技場をスタート、ゴールとして多摩川河川敷を舞台にしていましたが、ここ数年は、等々力競技場とその周辺をコースにしています。1ヶ月半におよぶ厳しい厳しい練習を耐えてきた選手。頑張ってほしいと思います。
選手が入場。
選手の紹介。選手は、ユニフォームで。
学校を代表して運動部長長が激励のことばを。
本校には応援委員がいます。応援委員によるエール。
 

●3年生は進路面談が始まっています。(その1)23年10月24日18時15分更新)

 今日から進路面談が始まっています。いよいよ3年生のフロアは進路色が強くなってきました。3年生は11月はじめに1、2年生より一足先に定期テストがあります。そして進路成績がでて、入試相談を行い、出願。3年生にとっては、これから落ち着かいない時期がしばらく続くことでしょう。
 これまでも、高校に進むことの意味や心構えという話題は、ここでもふれてきたので、そちらも合わせて読んでもらえると良いのですが、今日は、「入試」や「進学」という眼の前のことではなく、もう少し先の「進路」についてのことを取り上げたいと思います。
 2012年にある企業が行った調査によると「一度でも夢の職業に就いたことのある人」は15%程度、「その仕事に就いたものの辞めてしまった人」は6%程度いるそうです(この調査は国や公的機関が行ったわけではありませんが、各世代を抽出して行われたサンプリング調査で、ある程度の客観性があるものと思いますが、あくまでも話題のきっかけとするために取り上げたので、企業名や出典は明らかにしません、ご了承ください)。この数字をどのように感じますか。このことを切り口に話題を広げたいと思います。今日は、時間もないので問題提起まで。次の投稿に続きます。
 
 3年生保護者の皆様、お忙しいなかではありますが、進路面談よろしくお願いいたします。
 

【行事】●今朝の、生徒集会で。23年10月23日9時34分更新)

 今朝は、月に一度の生徒集会でした。生徒集会は、名前の通り生徒が主体になり企画、運営します。今日の生徒集会では、土曜に行われた「文化祭」のことも話題にあげられていましたが、下の画像もその一幕。司会の『文化祭の準備や運営に関わった人は起立してください。』という呼びかけに応え立つ生徒の様子です。たくさんの生徒が関わって作り上げられた文化祭だったことがよく分かる一場面ですので紹介します。
 

●おおらかだった時代が。23年10月16日23時4分更新)

 今の時代をどう考えるか。
 それは、どのような時代に生まれどのような時代を生きてきたかで違うことは言うまでもないことでしょう。
 今の時代を生きづらい、という人もいれば、今の時代は生きやすい、という人も同じだけいると思います。以前、中学生に「平成時代初頭」の経験を話したら「そんなのありえない」と一刀両断。何の話とは書きませんが、その時代を知っている人からすれば当たり前(と思っていた)ことを伝えたところ全否定されてずいぶんショックを受けたのを思い出します。
 今日は、そんな話題を少し。
 先日、ある業界に就職している教え子から聞いた話です。その現場では、「盗難事故」が発生しているとのことから注意喚起のアナウンスをしたところ、そのことについてのクレームが入ったとか。「客の中にドロボウがいる前提で接しているのか」との言い分。この注意喚起のどこがいけないのか、自分にはまったくわかりません。まあまあと言いながらも、世知辛い世の中になったことを実感せざるをえないひとときとなりました。
 90年代に自分が鉄道で旅行していたころ夜行列車や長距離列車にのると、車掌がよくこんな放送をしていました。「お弁当やお茶を買われる方は、この駅でお買いください。この駅を出ますと、これから先お弁当など買えるような駅はひとつもありません」・・・私は、これは言葉通りに受け取りますし、これに不愉快な印象を受けることはありませんでしたが、今であれば「配慮に欠ける」とか「不愉快な表現」とクレームにつながることもあるのだとか。上の表現の「配慮に欠ける」部分や「不愉快な表現」といわれるところはわかりますか?つまり、「お弁当を買えるようところはないような場所に住んでいる人への配慮」ということです。
 先の教え子の話を聞いた時、そんな話題を思い出しました。
 確かに、配慮や気遣いは大切ではありますが、違う方向に進んでいるように思えてなりません。
 小さなことは気にしない、許しあえていた、何事にもおおらかだった時代があったと思うのですが、どちらが生きやすい時代なのでしょうか。
 

●授業で。23年10月5日17時10分更新)

 授業で、こんなことがありました。
 3年生の社会の授業、分野は公民を学習しています。授業の中で学習の内容に沿った、時事的な話題にふれました。「ある自治体の首長と議会の関係性と、そのやりとりの是非」が全国で注目されているという話題を取り上げて、私は「自身の視聴者(教員としてではなく)としての評価」を話したのです。これは、ある自治体に若手の市長が就任し、議会での議員の振る舞いに対して正すべきと意見をいったことがきっかけで議会とのあいだに不和が生じ、様々なメディアで取り上げられているものです。生徒の中には知っている人も数人いましたが、話題としてまったく知らない人のほうが圧倒的に多くありました。
 自身は、話題になってから関心をもちましたので、以降日常的に議会や委員会の質疑、答弁の様子を見ていました(最近は、市民への情報公開の観点、見える化の観点ですべての本会議、委員会の様子を動画で公開しているし、首長の定例記者会見なども公開されています)。それをふまえて、自身の率直な評価を話したわけです。
 すると、翌日の授業前にある生徒が一連の出来事について調べ、動画を見たということで、感じたことと自身の評価を伝えてくれたのです。生徒の評価は私が伝えた見方、評価と方向性は同じであるものの、少し異なった部分もありましたので、理由を問うと、これこれこのような場面を見て、このように感じたと話をしてくれました。
 もちろん、公開されている本会議、委員会のすべての動画を見ることは難しいですから、その生徒は「一連の話題をとりあげたニュース」を観たそうです。ニュースですので公正かつ客観的に取り上げられている前提ですが、あふれる情報の中には、恣意的にまとめられたものもあります。数ある情報の中から自分の考え方(ここでは、この出来事への評価)の根拠となる情報を適切に探し出す力を伸ばすにはとてもよいきっかけとなると感じました。自分は、この中でさらに自分の考えの根拠を伝えましたので、そこから、発展的に学ぶことができたとすれば素晴らしいことだと思いました。
 面談では、「主体的に学習に取り組む態度」についての質問なども出たようですが、これこそが、主体的な学びの一例と言えるのではないかと思います。
 

【行事】●生徒会本部役員選挙、新しい代ヘ23年10月5日11時32分更新)

 本日、3、4校時で生徒会本部役員選挙が行われています。立候補者、応援者による立会演説会。その後は、学年ごとに投票を行います。選挙に使用する投票箱等は自治体の選挙管理委員会から借りています。生徒会も、新しい代に。部活動だけでなく、さまざまな部分で黃学年から青学年へバトンが引き継がれています。
久しぶりの体育館での演説会
 

●学校へ行こう週間、三者面談期間中。23年10月4日12時11分更新)

 三者面談へのご来校ありがとうございます。学校へ行こう週間中。昨年は、平日にも関わらずたくさんの方がいらしていた印象ですが、今年は少ないです。学校行事へ制限なく来られるようになり、平日に仕事を休んでまでは…、ということなのかもしれません。まだまだこの先、文化祭も、合唱コンクールもあります。お忙しいとは思いますが、ぜひお越しください。お待ちしています。
 
 さて、三者面談。短い時間ですが、意味のある時間になれば。
 これまで、面談の際には、ご家庭の皆様の立場から何度かつぶやいてきました。自身も中3、そして中1の子どもを持つ親ですので、保護者の気持ちは理解しているつもりですが、今回は、「担任」の立場から感じていることをつぶやいてみます。担任をしなくなり久しいですが、自分が感じていたことも含めて。
 面談では、前期成績も手渡されるので、そこらへんの話が中心になることもわかりますが、この機会が担任とのコミュニケーションの「きっかけ」となると良いと思います。
 クラスや担任の話をお子さんから聞くこともあるでしょうが、一方的な話だけではなく、直接話してわかることも少なくありません。担任をしていると面談で、クラスのこと(良いことも課題も)や担任の振る舞いについてご意見や不安の声をいただくことは少なくありません。お子さんが家庭で話していたことを担任に伝えていただくことで、担任が方向性や課題を認識することにつながることがよくあることです。
 また、不安なことや課題についても面談に限らず、直接担任に状況を確認されることで前向きに解決を図れることにもつながります。担任をはじめとして全教職員が子どもたちのために関わっていくわけですが、ふとした時に行き違いが生じることはよくあります。良かれと思ってやったことが、裏目に出ることはすくなくありません。教員という立場から方法論としてそもそも適さない場合は話になりません。しかし、客観的に必要な関わりや振る舞いだって間違いなくあるのです。子どもにとって、それが受け入れられるか別ですから、そこに不和が生じるわけです。私達は、つねに子どもたちが心地良いと思う(望んでいること)方向性で向き合うことができるかというと、そうではありません。子どもたちが心地良いと思える環境をつくるために、ときに苦言を呈さなければならないこともあるでしょう。
 私達が迎合をすることはいろいろと楽ではありますが、そこに成長は生まれないし、信頼関係も生まれないでしょう。お互いに、です。
 クラスでは、生徒同士はもちろん、担任と生徒の間にあつれきが生じることはたくさんあります。そこを互いに対話を通して理解を深めていくことが、学級活動の魅力だと思っています。義務教育の最後の3年間、そんな資質能力を育んでいきたいと思います。
 私達大人は、社会ではその関わりが不可欠なのは誰もが理解しているはずです。コミュニケーション、対話を通して相互理解を深めていくこと。しばしば、「中学生にそれを求めるのは難しい」という意見を聞くこともありますが、できるかできないかではなく、大人がそのような前提で関わっていくことが大切です。実際に、そのような関係を築けているクラスはあります。結果として、子どもたちがそのようなことを理解できなくとも、子どもたち本人が実社会に出て身をもって体感することを通して、認知してくれればそれで良いと思っています。
 さて、私達と子どもとの関係や子ども同士の課題は、対話することで解決する場合もありますが、第三者があいだをとりもつことで、子どもにスッと落ちることもたくさんあります。自分たちが子どもの頃もそうでしたね。そんな時に、お子さんを一番近くで理解されているご家庭の皆様が、私達の意図を共有しながら、ほんのひと言添えていただくだけで、驚くほど子どもたちの理解が深まるのです。
 ご家庭の皆様は、なかなか見えてこない学校の様子に不安が強くなることもあります。「子どもが学校のことを何も話してくれません。」…よく聞く声です。そんななか、子どもがクラスなどに対してネガティブなことを口にすれば一気に不安は募るのは当然でしょう。しかし、そんなときこそ、冷静に、担任にそっと相談してみてください。それはご家庭の安心につながり、そして子どもたちの成長への糸口がみつかるのではないかと思っています。
 面談はきっかけですから、ここからコミュニケーションをとって、普段から学校と、ご家庭の相互理解を深められることが、教育なのだと感じています。
 

【行事】●合唱コンクールの合唱順を抽選、今日決定。23年9月25日10時53分更新)

 今朝の、生徒集会で、第46回合唱コンクールの合唱順番抽選を行いました。それぞれ、合唱順が決定しています。近日、合唱コンクールに関するページをアップします。しばらくお待ちください。
 

●「なぜ、教員になったんですか。」23年9月24日16時10分更新)

 今、今年度2度めの教育実習期間中です。その実習も、明日の月曜日でおしまい。教育実習を通してこの仕事の魅力を感じてもらえると嬉しいですし、いつか同僚として働くことができたら素敵ですね。
 
 教育実習生には、「なぜ教員を目指すの?」と聞くことがありますが、わたしたちも最近、「なぜ、教員になったんですか。」と聞かれることがよくあります。特にメディアで教員の様々な面についてふれられるようになってからは、そんな話題になることがよくあります。聞く方としてはきっと興味があるのでしょうが、教員個人としてよりは、一般的な意見としての回答を求められているように感じることもたくさんあります。つまり、その質問の後ろがわには、このような様々な課題が浮き彫りになるような世界で働くことへの好奇心みたいなものを感じることもあります。
 私は普段、このように人に聞かれても、「それは、まあ。」となんとも微妙な答え方しかしませんし、話してみても実際にこの職業に就いてみないとわからないこともあるので、正直な話をしたことはありません。もちろん、それ以外の考え方もあるでしょうし、それぞれに答えはあるでしょうから、それを代表して答えるようなことはしなくないからです。
 ただ、ずいぶんそのようなことに関心をもっていただけるのはありがたいことですし、少し話題にしてみようと思います。
 私は、「教員になった理由」と「教員をやっている理由」ということは明確に違ってくると思っています。
 まず、よくいう「子どもが好き」。校種を問わずこれが、「目指した理由」や「なった理由」にあげられることは少なくありません。けれど、これが、「教員をやっている(やっていく)理由に」なるかといえば、話は別です。とにかく「子どもが好き」だという理由だけでは、なったあとのギャップの衝撃に耐えられずに、離職するようなことにもつながります。教員採用試験を通ったのに、離職する割合が高いのはそのあたりに理由があるのかもしれません。そう、ですから、「教員になった理由」と「教員をやっている理由」は別のものだと考えなければなりません。
 どうでもいいけれど、なんかめんどくさい話だと感じる方は、ここでページを閉じていただければ。
 
 「教員をやっている理由」について触れていきます。
 結論から。それは、「人の人生そのものに関わることができる」から。
 長いこと教員をやっているとたくさんの生徒と出会います。そして思い出すことのできないような無数のやり取りをしていきます。その無数のやり取りは、時に、誰かの心に刺さります。クラスで担任としての関わりかもしれないし、教科担当として授業での関わりかもしれません。それに、顧問として部活動での関わりの場合もありますね。とにかく、良くも悪くも私達の振る舞いが時に誰かに大きな影響を与えるのです。多くの先生は信念をもって向き合っていることでしょう。その信念というのは時代の流れのなかで、理解されにくいものになることもあるので、それを貫くというのはなかなか疲れるものだと思います。もちろん、時代錯誤の「信念」はいけませんし、私達も時代の流れに敏感であることは大切なこと。
 迎合することは楽ですし。
 私達が、中学生と関わる中で「これをするべきだ」、「これをしてはならない」ということの多くは、生徒にとっては面倒で、うっとうしいと感じるのです。もしもそれを、言う先生と、言わない先生がいたとすれば、その評価や好き嫌いにつながるのは自然なことだと思います。
 私達のやっていることが、伝えてきたことが、子どもたちにどのように伝わっていたかとわかるのは、3年間の間ではありません。卒業してから5年、10年が経ってからでしょう。実際に、高校に行って、大学に進んで言われていたことが実感できる、ということも少なくありません。親子の関係でも同じことがありますね。
 卒業からすいぶん時間が経ったとき、ふとした機会に、そんなことを私達に伝えてくれることがあるのです。私達の世界では、その、ふとした機会から、交流が始まることが少なくありません。
 例えば、そんなことから教員を目指す教え子がでて、職場で同僚になったり、結婚式に参列したり、その教え子の赤ちゃんを抱っこしてみたり、その子どもを中学校で教える事になったり。そんな、まさに人の人生そのものに関われるっていうことが、どんな苦労やつらい気持ちもゼロにして、なおかつプラスにできるほどの魅力だといえるのです。
 私達は、誰かの人生に影響を与えようとも、与えられるとも微塵も思っていませんが、時にそんな奇跡的なことが起こります。子どもは敏感ですから、手を抜けばすぐに見抜きますし、口先だけのこともすぐに見抜きます。そんな中で、どのように誠実に向き合うか、それが私達が考えなければならないことなんです。
 ある退職を迎える同僚の先生がいました。離退任式の1ヶ月まえに、自分がたまたま受けた電話です。「私は、○○先生が初任の時に担任としてお世話になりました。今年で退職されますね。その時のクラスの有志でサプライズでお花を渡したいので、協力をしていただけませんか。」との内容でした。30年以上前の生徒です。
 教え子が、成人して、就職して、時には結婚して、そして子どもができて。また、時には教え子の最後を看取ることだって。
 そんなことが、「教員をやっている(やっていける)」理由なのだと思います。
 

【行事】●市総体の真っ只中。有終の美を。23年9月17日19時48分更新)

 現在、川崎市中学校総合体育大会の真っ只中です。私学も含む市内全校で得点を競う市総体。15日(金曜日)には壮行会も行われています。
 ここでその様子も少し紹介します。でも、その前に少し、思いを。
 さて、市総体は「3年生にとって最後の試合」です。参加する選手にとってはこの大会の意味は想像以上に大きなものとなります。
 顧問としてベンチに入ると2年半のともに過ごした時間を思い出します。楽しかったこと、苦しかったこと、練習の合間に交わした小さな会話なども思い出されます。そして、仮入部のときの様子と重なり、その大きな成長を実感するのです。これは、ともに過ごした時間が濃いものであればあるほど、強くなります。
 会場では様々な人間模様が見られます。「試合に負けて涙を流す選手、試合に勝って笑顔の選手」…しかし、最後の試合である市総体では、「試合に負けて笑顔で終わる選手、試合に勝って涙を流す選手」の姿を見ることがあります。
 なぜか分かりますか。自分の全力を出し切り、やりきった選手は、試合で負けてしまったとしても爽やかな笑顔でいることがあります。笑顔で、「もう、やりきりました」って言うんです。そして、顧問の先生はそんな選手を「おつかれさま」と迎え、労います。何も知らない人であれば、「試合で負けて笑ってるんじゃない」と思うかもしれません。けれど、その選手が抱えていた課題や目指していたことを知る人は、その姿をみて不愉快にはなりません。
 そして試合に勝って涙を流す選手…選手の中には様々な目標を持ちます。もちろん「優勝」とか「県大会出場」という目標をもつこともあります。しかし、なかには他校に1年生から目標している選手がいて、何度か試合で当たっているけれど、勝てない。一度も勝てない。努力を重ねて、市総体…その選手との試合で最後の最後に勝つ、そんなめぐり合わせがあるのも市総体の魅力です。
 顧問もチームの一員ですから、そんな思いを共有しながら選手の成長に感動することができます。そんなとき、顧問をやっていてよかったと心から思えるのです。
 コロナ前までは、市総体には1年生2年生も全員で応援に行き、大会後に3年生の引退式を行うことが多くありました。そこで、3年生が2年半の思いを1、2年生に伝えます。1、2年生は真剣です。そして涙を流す人もたくさん。部員数が多い部活動では、引退式だけで、1時間以上かかる場合も少なくありませんが、だれも退屈そうな人はいません。3年生一人ひとりの話を真剣に聞きます。それは、まさに言葉通り1、2年生も3年生とともに歩んでくることが当たり前だったからと言えます。コロナ禍になり、「選手以外は引率不可」というような制限が当たり前になりました。先輩の歩んできた時間や活動する姿を見る機会が、以前に比べて圧倒的に減りました。皆無になったといっても過言ではないかもしれません。これは、大きなことです。今、1時間も話を聞いていたら、あっというまに飽きてしまう人も少なくないでしょう。他者に関心を持っていればそうでもありませんが、このコロナ禍の影響の一つともいえる他者への関心の半減は、じつに様々な問題点を残していったと思います。
 
 これから新しい代を担う2年生には、がむしゃらに部活動に取り組んでほしいと思います。もちろん、習い事なども大切ですから、それをさしおいて全力で部活に向き合うということではありません。部活動に臨んでいる時間は、部活動のことに全力で臨んでほしいのです。以前、ここでも話題になりましたが、「がむしゃら」な姿をあまり見なくなり久しいです。四の五の言わずに、全力で向き合う。そんなことを心から臨んでいます。四の五のいっている間に時間が過ぎていく、そんなことは残念ながら、ままあります。それは本当に残念なことです。また、部活動はチームです。個人的な活動の場ではありません。他者への配慮や気遣い、感謝、そしてリスペクトする姿勢を育む場でもあります。部活動には同じ目的の人が集う場だからこそできることも少なくありません。そして、どのように過ごしたという答え合わせの場が「市総体」です。その結果は、残酷なほどに正直に現れます。勝ち負けということではなく、チームになれたか、という点において。
 
 現在、世論では、部活動のありかたについて色々な議論がなされています。しかし、その議論は、実際の部活動の意義や魅力を置き去りにしたまま進んでいると感じることもよくあります。地域移行なども含めて、今は働き方改革の観点から言われることが多いですが、以前は、「子どもを家庭へ返す」というようなことが主要な意見でした。いち顧問の立場からすれば、業務外とはいえ、使った時間と向き合った時間が濃ければ濃いほど、互いに成長できることを知っています。だから、がんばろうと思えるし、一緒に過ごす時間が貴いと思えるのです。青学年のみなさんが、どのようなチームをつくるのか、楽しみです。
 では、壮行会の様子。吹奏楽部の演奏のもと、入場。各団体のみなさんが、ステージで意気込みを伝えました。
選手、入場
ユニフォーム姿で意気込みを。
 
 

●試験もおわり、後期に向けて。23年9月9日17時12分更新)

 本日はPTA役員会、運営委員会がありました。役員のみなさまは、11月に行われる「たまかん祭」に向けた打ち合わせや準備に活動をされています。「たまかん祭」はいわゆるPTAバザーです。学校行事ということは間違いがないのですが、文化祭や合唱コンクールと違い、保護者の方が中心となって作り上げていく行事です。「地域(保護者を含む)に向けて」、開催します。新型コロナウイルス感染症の拡大で縮小されていましたが、今年は、制限なしで本格的に再開する予定です。
 たまかん祭には本校PTAOB会の「あおい会」のみなさまや「有馬中学校区地域教育会議」のみなさまも参加されます。コロナ前は在校生の参加は任意ですが、ほとんどの生徒が参加していたイメージです。コロナ禍でのたまかん祭を無くさないように、当時のPTA役員のみなさまを中心にさまざまな工夫をして守ってきた「たまかん祭」。例えば、現金授受の接触をなくすためのネット決済の導入、コロナ禍でも飲食が安全にできるようにと導入したキッチンカー。これは、市内でもかなり新しい挑戦でした。今年は、これらをさらにパワーアップして開催できそうです。学校は、保護者のみなさまやご家庭のみなさまに支えられていることを実感しています。
 また、今年度は小学生や地域のみなさまも参加することができる予定です。コロナ禍では、「何もできなくなった子どもたちに、少しでも楽しい思い出を」をスローガンに取り組んできましたが、本来の趣旨にあった「たまかん祭」となりそうで楽しみです。生徒の声からできた学校オリジナルグッズもさらにパワーアップです。詳細は学校ホームページにアップしますのでお楽しみに。
 今日も早朝から、今の今まで活動されている役員のみなさまをはじめとして、行事でお手伝いをいただくボランティアのみなさま方には感謝の気持ちでいっぱいになります。
 以前、ここの記事にも書きましたが、昨今時代の流れの中で薄れつつある(と感じます)「感謝の気持ち」や「あることが当たり前ではないこと」を子どもたちにも伝えながら「おかげさま」の精神を大切にしたいものだと感じている今日このごろです。「それが、役員のしごとでしょ。ボランティアは好きでやっているのでしょ。」…むかし、そんな心無い言葉を耳にしたことがあります。すごく悲しい気持ちになりました。それぞれ色々な思いも願いもあることでしょう。時として人は、自分の望むこと以外は受け入れられなかったり、自分勝手な言動につなげることも少なくありません。子どもだけではなく、社会では大人にも同じことが言えますね。物事の裏側でたくさんの人の努力と苦労があることを想像する力を育みたいと強く感じています。PTAのみなさんが準備をする様子を見て、今年もきっと素敵な思い出に残るたまかん祭となるはずだと、そして友達と楽しそうに巡る生徒のみなさんの様子が思い浮かびます。
 けれど、声を大にして言いたいと思います。「それは、当たり前じゃない。寝てる間に勝手にお膳立てされていることじゃないんだ」と。
 

●学校再開から、1週間。23年9月1日16時27分更新)

 夏休みが8月31日まででなくなりずいぶん経ちました。しかし、全国的に見ればまだまだ9月1日からスタート、という学校の方が多いようです。2期制になり、「秋休み」ができたことなども影響しているわけですが、当初、1週間程度の秋休みをとっていた学校も多かったのですが、今は「かわさき地域と家庭の日」を秋季休業とする学校がほとんどではないでしょうか。なんだか、少し損をしたような気がしないわけでもありません。
 さて、来週には定期テストもあります。定期テストの話は以前にここで書きましたのでふれませんが、「イベント」ではないことを認識しながら準備してほしいと思います。
 
 ところで、この学校ホームページもずいぶん定着したようで担当者としてはとても嬉しい限りです。コロナ禍でずいぶんいろいろなことが変わりました。私達のとって都合の良い変化もあれば、がっかりする変化もあり、また、コロナ禍を終えたこれからどのように振る舞えば良いのか戸惑うことも少なくありません。
 「ホームページを(コミュニケーションツールとして)活用する」ということはコロナ禍がなければもしかするとなかった発想かもしれません。私立の場合には多くの学校でホームページやSNSを広報活動の重要ツールに位置づけて活用しているといえます。生徒募集などが統廃合や学校の存続に直結する高校をのぞいては、公立学校ではなかなか、そこまで手が回らないのが実情かもしれません。小学校は充実している学校もありますが、中学校では更新が、3、4年前などという場合も少なくありません。本校でも更新の手間などを考えるとなかなか定着しづらい部分であったと思います。
 コロナ禍になり、保護者の方が学校へくることのできる機会は圧倒的に減りました。減ったというより、皆無になったといえるかもしれません。そのようななかで、修学旅行の様子を伝えたことがきっかけでした。中止が決まる数々の行事。その中でようやく行けることになった修学旅行の様子を感じてもらいたい、ということからの挑戦でした。
 配信メールなどで事前にお知らせはしていたものの、驚くほどのアクセスがありました。3日間で6,000近いアクセス数でした。当時の3年生は270名近くでしたが、単純にひと家庭あたり期間中20回程度アクセスしたイメージです。まさに、需要と供給の関係です。需要があれば、更新者もやる気がでますし、モチベーションが上がるというものです。
 さて、本題はここから。先日、こんな質問を受けました。「Q:修学旅行や校外学習の更新はどのようにやっているのですか」…「A:自分も引率する行事はGIGA端末とWi-Fiを現地に持参して、その場で適宜更新しています。引率しない場合には、現地の先生から画像データを送信してもらい、それを更新します。」
 意識しているポイントは、なるべくリアルタイムに雰囲気のわかる画像を掲載すること。それが、活動の様子を知っていただくとともに、安心につながれば嬉しいと思います。あと、個人情報保護の観点でなるべく背後から写したものであったり、モザイク処理をしていますが、それでもご家庭の方は分かるようで、帰宅後にお子さんと画像をみながら話をするということも聞きました。ホームページで学校行事の様子をみて、家庭で話題のきっかけになることが多くなったという話を聞きますが、このページも含めて話題作りの一助となっているということは、嬉しい限りです。
 

【行事】●第77回川崎市中学校総合体育大会の開会式を開催(市総体)23年8月28日10時53分更新)

 いわゆる「市総体」の開会式が、4年ぶりに市とどろきアリーナで開催されました。伝統と歴史あるこの大会、この時期の3年生の大会は、全国数ある自治体のなかでも川崎市だけではないでしょうか。この大会を終えて引退を迎える3年生。この大会は、一部市内私学を含む全中学校の全競技種目においての入賞状況をポイントにしてその合計点数で頂点を決めます。
 昨日行われた水泳競技を皮切りに、10月30日の全市駅伝大会まで続きます。すでに県総体で3年生が引退している場合もあるため2年生が出場する場合もあるでしょう。まさに、学校の名前を背負った戦いです。頑張ってほしいと思います。
 市総体の開会式は盛大に行われました。午前中に参加する3年生を中心に行進練習を行いました。また、開会式後、各部の部長は「キャプテン会議」を行い、大会の組み合わせ抽選を行いました。
行進練習の様子
入場行進の演奏は、吹奏楽部の生演奏(ぜいたく)
全市(一部私学含む)全校が集結。とどろきアリーナでの開会式の様子。
 
 

●夏休み、真っ只中。23年8月2日15時7分更新)

 夏休みを楽しんでいますか。
 部活動に、習い事。最近の中学生は夏休みらしい夏休みを過ごせない、という記事を以前書いておきながら、このような書き出しも微妙ですが。楽しんでいますか。
 以前は、部活動も時間的な制限などなかったですから、7時くらいから18時くらいまで、お弁当もちで毎日部活でした。今は、保護者の皆様の世代はまさにそんな感じだったのか、「部活の時間が少なすぎて!」なんて話をされることも少なくありません。働き方改革は歓迎ですが、もっと部活をやりたいという声を聞いてしまうと、少しモヤモヤした気持ちになります。
 さて、以前、書きましたが、このお盆休みは数年ぶりに帰郷する人も多いのではないでしょうか。4、5年ぶりに故郷に。そんな人も少なくないことでしょう。駅や、空港で、様々な人間模様がみられることでしょう。
 コロナ禍の生活を経て、誰もが、人とのふれあいを欲しているのだと感じます。先日、女子ソフトテニス部のみなさんが、地域の盆踊り大会に踊り手として参加してきました。普段の1.5倍から2倍近い人が訪れていました。そして、テニス部のみなさんは櫓上で踊っているわけですが、その櫓の周りにはたくさんの人達が集まり踊っていました。まさに老若男女入り混じり、幼稚園児くらいの子や、中学生、高校生(卒業生もたくさんいました)、家族連れ、ご夫婦など。ベビーカーを押しながら踊るお母さんまでいました。そして、疲れると抜けて、出店を楽しんだり、会話で盛り上がったり。そんな様子をみていると、人とのふれあいを欲していることに気付かされるのです。極力、人と関わらない時間が、あまりに長すぎたように思います。
 この夏休み、中学生のみなさんもたくさんの人とのふれあいを楽しんでほしいと願います。
 

【行事】●盆踊り大会、櫓上で踊りました(女子ソフトテニス部)23年7月29日13時33分更新)

 夏休みに入り、1週間。それぞれの生徒がさまざまな時間の使い方をしているようです。部活動、習い事、それに家族との時間。もうすぐ8月ですね。8月に入ると夏休みの終わりのカウントダウンが始まる気がします。あっと言う間ですね。
 さて、女子ソフトテニス部では、地域の盆踊り大会に踊り手として参加しています。昨日、1日目。夕方から20時30分までたくさん踊りました。今日、2日目です。
 4年ぶりのお祭りには、地域のたくさんの人が集まり、自然とみんなで踊っていました。そういえば、この地域の人にとってのこのお祭りは特別なもので、生徒も、この日ばかりは習い事を休んで、みんな集まる!そんな地域行事だったことを思い出しました。
 テニス部の皆さんは櫓上で踊っています。生バンドの歌と演奏による、川崎おどりと、ダンシングヒーロー。
下でも地域のみなさんと一緒に踊ります。
3回、櫓上での出番がありました。
 

【行事】●自治会納涼盆踊り大会に参加します(女子ソフトテニス部)23年7月21日18時33分更新)

 夏休みに入りました。初日です。
 さて、新型コロナウイルス感染症も落ち着き、さまざまな日常が戻っていたように感じるこの頃です。それは、学校だけではありません。学区の自治会では、4年ぶりに盆踊り大会を開催する予定です。学校からは自治会からの依頼を受けて、女子ソフトテニス部のみなさんが参加することになっています。今日、踊りの先生や地域自治会の皆様が来校されて、体育館で2時間ほど練習をしました。3時間の部活動の後の練習となりましたが、楽しく踊りながら、来校された地域の皆様とたくさん交流をしました。炭坑節、河内おとこ節、宮前音頭、川崎おどり、ダンシングヒーローなどの振り付けを練習しました。2時間、ひたすら踊りましたが、すぐに覚えてしまう中学生に、踊りを指導してくださった先生はとても驚いていました。テニス部は2日間の日程で参加することになります。お祭りを通して「夏休みらしい時間」を過ごせると素敵です。
 

●もうすぐ、夏休み。23年7月18日18時47分更新)

 明日で、三者面談最終日。今年から、5日間の日程で行っている面談ですが、4日間の時よりも時間的な余裕がすごくある気がします。当たり前の話ですが。
 さて、特に1年生のご家庭の皆様にとっては、お子さんが中学校へ入ってからの3ヶ月間をどのようにすごしていたのか、その様子の一端を知ることができる面談です。「中学生になってから、学校の話をしてくれない」…そんな声はよく聞きますが、少しでも学校での様子を知ることにつながる時間となれば嬉しく思います。
 1年生のみなさんは小学校と、中学校の生活の慌ただしさのギャップにようやく慣れてきたころでしょうか。生徒も、ご家庭も。今、給食になってからは、そのようなことはありませんが、弁当の時(平成29年までは弁当でした)には中学校は15分間でしたから、そんなことへの驚きの声も1年生のうちにあったのは懐かしい思い出です。
 今週で学校は一段落です。もっとも、運動部の大会などを中心にまだまだ続くので、勝ち残っていく団体や選手はお盆明けくらいまで忙しいですね。
 中学生のみなさんには少しでも、「夏休みらしい時間」を過ごしてくれることを願っていますが、最近は、そうもいかないようで、塾や習い事の時間が大半という人も少なくありません。ある生徒からは、『夏休みになって学校がなくなった分だけ習い事の時間が増えるので、夏休みはそれほどうれしくありません』と中学生らしからぬ声も。…というよりも、「夏休みらしい時間」の概念が、今の中学生と、自分たちのころのものとは、そもそも違うような気もします。どのような時間を過ごしたとしても、安全に、無事に変わりない姿で、8月28日に登校してほしいと思います。
 ただ、やっぱり、夏休みにしかできないことがあるはずですから、そんなことを経験してほしいと思うんですよね。難しいのかなぁ。
 残り2日間です。
 

●テストを終えて書くつもりだったこと。23年7月11日13時11分更新)

 テスト前の記事に、「テストはイベントではなく、通過点」ということにふれつつ、テストが終わったらつぶやくと書いてあることに気づきました。おそらく誰もそんなことは気にしていないと思いますが、個人的に気持ちがわるいので、つぶやきます。
 本題に入ります。テストはイベントごとと同じで、終わったらそこでおしまいというような生徒は少なくありません。少なくないと感じるのは、生徒の言葉や振る舞いからそのように感じています。テストは大切です。ただし、その大切の「意味」を間違えている人が少なくはありません。
 「良い成績をとるために大切」なのか…たしかにテストは成績(ここでは評価評定という意味での「成績」)に影響がないかといえば、そうではありません。しかし、テストが全てかといえば、これも大きな間違いです。昔は、「授業中の姿勢や態度が良くなくとも、テストで点数が取れればそれなりの評価がついた」ことも事例としてあったかもしれません。けれど、今は、観点ごとの総合的な評価で評定(成績)を出します。言い換えると、「テストの点数が満点であっても授業中の取り組みに課題があれば、評定で5(5段階中の5)とならないことはある。」ということです。
 この「授業中の取り組み」というのはいわゆる「忘れものをしない」とか「挙手の回数」ということではありません。もちろん「提出物の出した、出さない」でもありません。「提出物を出す、出さない」を関心、意欲、態度と評価していた時代もあったかもしれませんが、今、評価するのは、提出物の「内容」です。記述された内容で生徒の調整力をはかるのです。
 現行の評価の観点でいうところの「主体的に学習に取り組む態度」で中心にみとることになりますが、端的にいうと「思考・判断・表現」と「知識・技能」の力を育むために行った「自己調整力」を指します。具体的に言うと、「今、自分にはこの力が必要だ」ということを気づくために、または、その力をつけることを実現するためにどのような取り組みをしたのか、ということになります。そのようなことから考えてみるならば、授業の中で学んだことから重要な点を見出していくことや、ある事象について学んだ個別の知識を結びつけて、根拠を持ちながら、自身の考えもふまえつつ、説明するというようなことが求められることになります。
 その実現のためにどのような学習調整をするのか、人によっては事前の音読かもしれないし、事前の意味調べかもしれませんが、いずれにしても、継続した学習に向かう姿勢が問われることになります。
 テストを終えて結果がでました。ある問いで間違えてしまったとします。その間違えてしまった部分を自ら理解し直すための取り組みが、大切なこととなるのです。家庭から面談などで「テストで9割を超えているのに5じゃない」というような話題がでることがありますが、これまでずいぶん長い間、ある種のテストの点数がすべてというようなことを言われてきた時代に評価を受けている世代の方には、感覚的にしっくりこないことがあるかもしれません。
 いろいろ書きましたが、要は大事なことは、「継続した学びであること」です。テストは、学びの経過点です。ポイントを振り返るためのチェックポイントですから、その結果を自身で分析し、自身の成長のために調整する姿勢が不可欠です。良い点数をとると嬉しいし、点数が良くないと「…」となりますね。一喜一憂しておしまいではなく、冷静に分析する時間を大切にしてほしいと思います。
*実際は、各教科により評価の項目、内容、重みは異なります。また、単元によっても見取りの手段は異なります。これが全てではありません。教科の評価については「教育課程説明会資料」などをご確認ください。
 

【ちょこっと、食育。(16)】23年7月3日11時28分更新)

 給食でたまに出てくるあのスープ。初めて食べる人は、メニューを見ると不思議な名前のスープだから「何が入っているスープなの?」と思うはず。そして食缶を開けてみると千切り野菜がたっぷり。もうおわかりですか?ジュリエンヌスープです。
 ジュリエンヌとはフランス語で「マッチ棒より細い糸状に切ったもの」という意味です。Jean Julien(ジョン・ジュリエン)というフランス人のコックさんの名前が由来のフランス語だそうです。人名がそのまま言葉になるなんて日本語にはない発想で面白いですね。
 さて、いろんな野菜が一度に食べられて、作り方もコンソメで煮るだけでとても簡単なジュリエンヌスープ。我が家の娘(1歳2か月)も2日に1回は食べています(多すぎ…)。もちろん親の私も、離乳食を作ったついでに料理をするため、2日に1回はジュリエンヌスープです(多すぎ…)。棒状のさけるチーズを厚さ5ミリの輪切りにしてスープに浮かべるといつもと違った美味しさが楽しめますよ。また、余ったら寒天やゼラチンを入れて固めれば、「色々野菜のゼリー寄せ」の完成です。
 バリエーション豊かなアレンジができるジュリエンヌスープ。給食でも美味しくいただきましょう♫(第15回から引き続き、白川伶子)
 

【ちょこっと、食育。(15)】23年6月27日8時1分更新)

 夏野菜が美味しい時期になりました。実はいろんな野菜の名前を英語にすると意外と面白いものがたくさんあるのです。
 例えば、茄子。夏はカレーに入れるととても美味しいですね。茄子は英語で「egg plant」と言います。茄子の原産地はインドで、原種の茄子は卵くらいの白い実で、見た目はまさにegg(卵)そっくりで可愛らしい感じです。
 また、夏になるとよくスーパーで見かけるゴーヤは英語にすると「bitter melon(苦いメロン)」と言います。授業で生徒に教えると「そうなの?覚えやすい!」と盛り上がります。さらに、6月から7月にかけての時期が旬の赤シソもスーパーで見かけますね。塩漬けやソーダにすると美味しいです。シソは学名ではperillaと言いますが、通称がいくつかあってその中でも面白いのが「beefsteak plant(ビーフステーキ プラント)」です。赤紫色のシソが牛肉の色に似ていることから付けられた名称だそうです。全く違う食べ物の名前が通称になっていて面白いですね。
 授業中の英語を使った会話活動で話題に出るとつい色々と話したくなってしまいますが、貴重で短い50分(45分の日はもっと短い・・・)。こんな機会でもない限りじっくり話せないものです。(白川伶子)
 

【行事】●夏の大会に向けた壮行会を実施23年6月27日7時53分更新)

 コロナも落ち着き、今年はどの競技もこれまでどおりの大会が開催される見込みです。いわゆる「夏の大会」。これは、地区(ブロック大会)を経て、県、関東、そして全国へと続く運動部の大会です。コロナ禍では、中止になったり、縮小されたりとたくさんの影響がありました。3年生を中心とした選手たちは、3年間の集大成として挑みます。この選手たちに向けた壮行会が、23日(金曜日)に開催されました。壮行会は、およそ4年ぶりに体育館で。各団体が決意を述べたあと、応援委員によるエールがおくられました。
 他地区では、この大会で部活動を引退。負ければ6月でおしまい。全国まで進んでも8月まで。川崎は、他の自治体では珍しい、市総体(秋の大会)がありますので、引退はまだ先になります。それぞれ、悔いの残らないようにがんばってきてほしいです。
体育館のステージで決意を示す
運営は、生徒会。
応援委員がエールを送ります
 

●学校運営協議会(コミュニティ・スクール)を開催23年6月15日12時11分更新)

 昨日、14日(水曜日)に第1回、学校運営協議会が開催されました。学校運営協議会については、【こちら】。令和4年度に設置されたこの会議では、「地域」、「家庭」、「学校」が協力して学校の課題の解決を図ろうとするものです。いわば「子どもの応援団」。昨日の会議では、3年生の生徒会本部役員も参加して、さまざまな課題や意見の交流も行いました。生徒会本部が感じている有馬中の「良さ」や「課題」。話題は多岐に渡りました。部活動の地域移行や、給食での残食率などのことについても話題が上がり、中学生がどのようなことを考えているのかということも共有できて、有意義な時間となりました。
 先日の体育祭では、じつにたくさんのボランティアの皆様にもご協力をいただくことができました。コロナ禍があけた今年は、さまざまな行事も復活していく予定です。3年生での保育実習、それに2年生の職場体験学習。まだ、計画調整中の行事もありますが、今年度は、さらにたくさんの場面で保護者のみなさまからボランティアなどを募り、子どもたちのそばでともに活動する場面をつくっていく方針で準備しています。改めて、お知らせや、ご案内する形になりますが、ぜひ、ご協力お願いいたします。
 

●落ち着いた日々が。明日から定期テスト。23年5月31日23時47分更新)

 体育祭が終わり、落ち着いた日々が続いています。
 5月も終わりますね。新年度、もう、2ヶ月が終わります。
 先日は、4年ぶりに体育館での生徒総会。とても久しぶりでした。進行役の議長団、生徒会本部役員、それに各種委員会委員長や、部長が初めてとは思えないほどにしっかりとした姿勢で臨んでいました。体育祭も多くのご家庭の皆様に見ていただきました。しかし、こんな行事も見ていただきたいと思います。実際は、難しいですけれど、そう思います。きっと、びっくりすると思います。想像以上に立派で。昨年に続いて、今年も「学校へ行こう週間」を10月に予定しています。これまでのコロナ禍で見ることができなかったお子さんの様子をたくさんみてください。平日ですが。そういえば、延期の体育祭、土日でなくて平日への延期。結果的に、お仕事で参観できなかった方もいることと申し訳なく感じます。けれど、教育課程や他行事との兼ね合いもあります。簡単には、「1週間後、2週間後」と延ばすことができないことをどうか、ご理解をいただけると幸いです。
 
 先日、標準服リサイクル販売に来校された方から、「このところ更新されていませんね、管理者のつぶやき。」の声、気にしていただいているようで、ありがたいです。ゆるーく、更新していますので、気が向いたらページを開いていただきつつ、更新されたいたら、読んでいただけるとうれしいです。そういえば、以前書いた、鉄道旅行の記事についても話題があがりました。 
 また、そんな記事をとの要望。需要は多くないかもしれませんが、お子様との話題のきっかけの一端も担っているようでうれしいです。
 鉄道の話題というわけではありませんが、ゴールデンウィーク、通りがかったターミナル駅では、スーツケースを持った家族連れや、学生などの姿がとても多く、いつもは煩わしかったこんな人混みが、とても心地よく感じたことに驚き、けれど、コロナ禍が一段落したことを実感した瞬間がありました。日常は、「非日常があるからこそ」その大切さがわかる、そんなことを感じました。
 そんな光景をみて、ふと思い浮かんだのは、 『ふるさとへ向かう最終に乗れる人は、急ぎなさいと、やさしい声の駅長は街なかにさけぶ。振り向けば空色の汽車は今、ドアが閉まりかけて…』こんな始まりの曲。ようやく、故郷へ帰ることができる日を迎えた人たちは、きっとたくさんの想いをつめたカバンを手に、列車に、そして飛行機に乗り込んでいったのでしょう。
 10年以上前の話です。2歳になった我が子を連れて初めて祖父母のもとへ帰郷したとき、新幹線のプラットで、到着した新幹線の窓をのぞき込みながら自分たちを探す祖母の姿を思い出し、胸にこみ上げるものがありました。比較的近くに住む母と違い、故郷に残る祖父母に会うのは、なかなかひと苦労でした。
 たった1日の滞在の後、新幹線の駅まで向かう在来線の中で、子どもをちょこんと膝にのせて手を握りつつ「また、こられぇよ(またきてね)」と涙声で話す祖母。ドアが閉まり新幹線がホームを滑り出しても手を振り続ける祖母と、無邪気に手を振り返す我が子。
 コロナが落ち着いた今年のお盆は、駅で、空港で、そんな光景がたくさんみられるはずですね。幸せな光景です。
 また、祖父母のもとに連れてこようと胸に誓って10年超、結局機会をつくれないまま、コロナ禍になり、さらに帰郷が難しくなりました。祖父は亡くなり、結局、手紙や電話でのやりとりはするものの、たったの一度も帰郷することなく、祖母にだっこされていた我が子は、今年中3になりました。これまで「時間がつくれない」と思っていたけれど、「時間はつくるもの」ということを考えたりする今日このごろ。
 大きなスーツケースを持って幸せそうな人たちの様子を見たとき、今年こそは帰郷しようかと強く感じました。働き方改革。
 さて、明日から定期テスト。1年生にとっては初めてのテスト。テストはイベントにあらず。普段の学習の経過点にすぎません。そんな話は、また、テストが終わってからつぶやきます。
 

【ちょこっと、食育。(14)】23年5月9日18時26分更新)

 私は大学時代に陸上競技で走り幅跳びをやっていました。
 その頃、食事に関しては、すごく気を遣っていました。炭酸ジュースは飲まないし、油物もあまりとらないし、運動をする前に飲むプロテインを飲んだり、運動をした後に飲むプロテインを飲んだりしていました。そのルーティーンが崩されるとイライラしたりすることもありました。
 摂る栄養素に気を遣うことも大事な試合の前では大切なことなのでグリコーゲンローディングという方法を取り入れたりしていました。グリコーゲン(糖)を沢山とる前日の日まで(大会の前々日まで)は、体内のグリコーゲンを減らす作業をしないといけないので、お腹がすきすぎてストレスで眠れないなんてこともありました。今考えると、なんて健康に良くないことをしていたのだろうと思います。近年の方法はまた違うようなのでご自分でも調べてみると良いのではないかと思います。
 摂る栄養素を気にして食事をするということは大事ですが、気にしすぎてそれがストレスになってしまうのだったら逆効果になってしまうということもあるということです。
 食事はおいしく楽しく食べることが一番だと私は思います。(友末宏亮)
 

●コロナ禍を経験して思うこと。23年5月4日14時17分更新)

 先日の朝会は、4年ぶりに体育館で集合形式での実施。生徒はもちろん、教職員も有馬中での集合形式の朝会を経験していない人が大多数。大規模な学校ですから、ただ「移動してください」といってもなかなか難しいものがあります。ですから、「○年生は東階段から、○年生は西階段から、○組の順に○学年から移動、体育館では○年生を先頭に各クラス○列」というような移動計画を立てるわけですが、自分もすっかり忘れていて計画を立てるのに手間取ってしまいました。
 移動完了に20分はかかることを予想しましたが、予想に反してスムーズに移動が完了し、10分で移動が完了しました。しっかりと朝会の時間が確保できて良かったです。
 さて、この数年間のコロナ禍の生活が私達に与えた影響は決して小さくないですね。もちろんそれは経済的なこともそうかもしれませんが、心身の面でも大きな影響を受けました。疲弊しきった感が強くなってきたところで、落ち着きを取り戻してきましたから、正直ほっとしています。
 しかし、急激にコロナ禍以前の生活に戻りつつあり、これはこれで別の意味で疲れてしまわないか心配です。学校行事なども、計画を立てながら、「あれ、どうしてたっけ」などと戸惑うこともままあります。もっとも、コロナ禍で得たことにも良いことはありますから、そこらへんの良い部分は活かしていけばよいのかもしれません。
 ところで町を歩くと、マスクを外した人の姿が目立つようになりました。このところはバスや電車内でも増えました。自分も外すことが増えました。ところが、学校現場ではほとんどの人がマスクを着用しています。ある記事によると「外したいけれど、マスクを外した顔を見られること」に抵抗がある人が小、中、高校を中心に多いのだとか。気持ちはわからなくはないけれど、これはまさにコロナ禍の生活の中で生じた残念な影響だと思います。
 もちろんマスクを外すことも着けることも自由ですし、誰かに強制されることではありませんが、「外したいけれど」というところがポイントです。外したいのに外せない状況を生み出してしまっていることがあることに学校教育の課題を感じてしまうわけです。
 先日、顧問をしている運動部の大会がありました。上位に勝ち残っている選手、試合をみるとマスクを着用してプレイしている選手は皆無でした。しかし、初回戦あたりでは多くの選手がマスクをしたまま試合を行っています。相当の運動量のある種目ですが、マスクを着用しているのです。顔を真赤にしてプレイしているので、心配になってしまいます。競技の性質や環境から考えても限りなく感染リスクは低いと思われるのですが。ある学校の顧問の先生と話をする機会がありました。「パフォーマンスの面や、熱中症予防の安全、健康面からプレイ中は外すことを勧めているけれど、抵抗感が強いらしくて…」とのことでした。
 もちろん強制はしませんが、これから暑くなって、熱中症予防などのことを考えなくてはならなくなってくると、そうも言っていられない気もしますが。マスクの着脱が試合の結果を左右するわけではありませんが、いろいろな優先順を考えつつ判断できるようになっていくといいと感じています。
 マスクだけに限らず、自分の意志に基づいて判断したことが受け入れられて、安心して行動できる社会(学校も)になってほしいと思います。
 

●久しぶりの更新。PTA合同委員会を開催23年4月28日12時55分更新)

 今日は、開校記念日です。入学式、始業式以来ずいぶんと慌ただしい日が続いていましたので、少し落ち着いた感じでしょうか。クラスでは係分担などもほぼ決まり、様々な活動が動き始めています。1年生を中心に、週末でゆっくりと休めるのではないかと思います。ただ、2、3年生はこの週末あたりから運動部の大会が始まる団体もあるので、部活動のために登校している人が多くいます。お疲れさまです。
 さて、先日、PTA合同委員会が行われました。今年度も多くも皆様にご協力をいただきます。PTA役員の皆様をはじめとして、正副、各委員の皆様、本当にありがたいことです。今年からPTA組織も大きく見直しを行っています。本当に大きな見直しです。ご協力いただく方の負担を少しでも軽減していこうと、昨年度の役員を中心に1年間かけて検討してきました。もちろん新しい試みもたくさんありますから、うまくいかないこともあるかもしれませんが、試行錯誤の積み重ねだと思います。まさに、「PCDAサイクル」です。授業と同じです。
 小学校のPTA活動と中学校のPTA活動は異なる部分も少なくありません。今年はじめてPTA活動に携わる方にとっては、戸惑う部分もあるかもしれませんが、教職員、保護者とそれぞれが助け合って学校を作り上げていけると素敵ですね。
 先日、お知らせしましたが、5月13日(土曜日)に開催される体育祭は、久しぶりに来校制限なしでの開催です。ただ、グラウンドでの食事とシートを敷いての場所取りはできません。ご理解とご協力をお願いします。
 

●慌ただしい時間が続いています。23年4月13日14時29分更新)

 始業式、入学式から1週間が経とうとしています。
 先週、金曜日に体育館での対面式。対面式は、体育館で集合形式で行いました。ここで体育祭の縦割りブロックを決定(近日、体育祭のページを公開予定)。
 そして、教科書配付等を行いつつ、クラスでの学級活動(学活)では、各種委員会やクラスの係活動分担などを決めています。新しいクラスに慣れたのかどうかはわかりませんが、まだまだ様子見の雰囲気は感じています。3クラスくらいの学校であれば良いのですが、7クラス規模になると、3年生といえども、「これまで話したことは一度もありません!」という人もいるくらいです。妙な緊張感を感じます。
 さて、1年生はといえば、月曜日に生徒会オリエンテーションで、各種委員会や部活動について先輩から説明を受けています。小学校とは違ったことも多く、戸惑っている様子がないわけではありませんが、どの委員会に入りたいとか、どの部活動に入りたいというやりとりが聞かれました。
 今日から、部活動の仮入部が始まります。
 ちなみに今日は、「新川崎市学習状況調査外部リンク」です。慌ただしい時間を過ごしています。ゴールデンウィークまで、もう少し。
 

●新年度のスタート。学校ホームページもよろしくおねがいします。23年4月7日16時5分更新)

 昨日、第46回入学式が行われました。270名の新入生を迎えました。本校は体育館の大きさの関係で、在校生は参加しません。卒業式も同じですが、じつは、在校生が参加するか否かというのは学校の伝統を引き継ぎ、それぞれが成長するという意味では大切なことです。特に「卒業式に在校生が参加する」ということは、とても大切なことだと思っています。コロナが流行る以前は、学校代表として生徒会が参加していましたが、それもできなくなりました。新型コロナウイルス感染症が与えた影響は本当に計り知れないものだと思います。社会的、経済的な部分だけでなく、それぞれの業界や環境でも意外なところに大きな影を残していきました。
 ただ、今回の入学式では4年ぶりに「選抜校歌合唱団」による校歌の紹介を行うことができました。これは、今後の有馬中学校にとって、とても意味のあることだと思います。素敵な合唱でした。代表で参加していただいた、新3年生のみなさんありがとうございました。
 さて、学校ホームページのトップ画像も更新しました。今年のテーマは、「Re START」。止まっていた日常が動き出す。ここのところ、様々な計画を立てながらそんなことを実感しています。もちろん、行事の精選ということも含めて、考えていく良い機会です。全部コロナ前に戻すのではなく、新しいあり方を模索していくことも大切なことかもしれませんね。
 有馬中学校で、ホームページを活用し始めたのも新型コロナウイルス感染症の影響です。たくさんの行事が中止、延期となり、保護者の方が学校で子どもの様子を見る機会も激減しました。少しでも、学校での様子をお伝えしたいとの思いでページを作り始めました。今では、配付物なども掲載していますが、単なる連絡ツールではなく、コミュニケーションツールのひとつでありたいという気持ちは変わりません。
 ここの「管理者のつぶやき。」もそんな思いから立ち上げたページです。これまでもさまざまなことを書いてきました。考え方も様々ですから、これを押し付けるつもりはありませんし、共感をもとめているわけではありません。また、学校や学年としてのオフィシャルな意見や考え方ではありません。ただ、ご家庭での話題づくりのきっかけになったりすると嬉しいです。
 
 始まりました、令和5年度。
 令和5年度は、昨年度よりももっと充実した1年にしていきたいものです。よろしくお願いいたします。(伊澤)
 

【ちょこっと、食育。(番外編)】23年3月15日20時6分更新)

 川崎市教育委員会では、「おうちで簡単!学校給食レシピ動画」を公開中。
 ぜひ、ご家庭でも!下の画像をクリックすると、公開ページへ移動します。移動先のリンクからどうぞ。また、動画で紹介している料理のレシピもダウンロードできます。
 

【ちょこっと、食育。(13)】23年3月15日19時16分更新)

 『食事はトレーニング』
 学生時代に野球をしていた私にとって食事はきついトレーニングの1つでした。
 「強豪校に勝つためにはまず体づくりから」この言葉を高校の監督から頂くと同時に大きな弁当箱を受け取りました。毎日、この弁当箱に1600g入れて、いただきますの直前には計量器で内容量を確認してからの日々。とてもではないが、楽しい時間ではありませんでした。毎日早朝から特大の弁当を作ってくれていた母親には大変申し訳ないですが、弁当を食べて「おいしい」と思えたことは一度もありませんでした。
 食事を「おいしい」と思うためにも食事は“楽しい時間”であるべきだと思います。いまの給食はパーテーションで囲まれながらの黙食。制限がある中ですが自分なりの楽しみを見つけ、食事は“楽しい時間”で「おいしく」食べたいものです。きついトレーニングの時間ではなく、楽しくおいしく頂く時間と思えていたらもっといい体づくりもできていたのではないかな、と青春時代を振り返っています。ぜひ食事は“楽しい時間”と思えるといいですね! (大島)
 

【行事】●生徒総会、3年ぶりに集合形式で。23年3月3日12時48分更新)

 3月2日(木曜日)の5、6校時に本年度2回目の生徒総会を実施しました。すべて生徒中心に議事進行、運営される生徒総会。今回は、コロナ禍で放送実施となって以来じつに3年ぶりの集合形式での開催となりました。体育館に3学年が集合したのも3年ぶりでしょうか。少しずつ、今までできなかったことができるようになりました。生徒総会では、各種委員会、部活動などの活動報告や予算について委員長や部長などから報告されました。
全学年の集合形式による生徒総会に緊張気味の委員長、部長
総会の様子
 

【行事】●3年生、卒業遠足へ。23年3月1日15時4分更新)

 27日(月曜日)に3年生は、卒業遠足へ行きました。さがみ湖プレジャーフォレスト。公立高校入試の発表前日でしたが、ほとんどの人が入試も一段落。いよいよ卒業式の目前といった感じです。自然教室も、校外学習も修学旅行もいわゆる「学習」の一貫でしたが、卒業遠足はそれらとは少し趣が異なります。純粋にクラスや学年で過ごすことを楽しむ時間であっていいかなと思います。今回は、当日更新はしませんでしたが、遠足の様子を少しだけ紹介します。
バスの中では、リラックスしてクラスの時間を過ごしました。天気は快晴、気持ち良いです。
クラス写真も。
集合して、今後の予定を
集合の様子2
以下、BBQの様子
食事後は、さまざまなアトラクションも。
 
 さあ、卒業式は一週間後です。これから、残りの時間を大切に過ごしてほしいと思います。
 

【ちょこっと、食育。(12)】23年2月24日14時32分更新)

 タッカルビ、キンパ、ビビンバ…
 さて、これらに共通するのは何でしょうか。
 何かと話題になりますのでご存知の方も多いでしょうか…答えは韓国料理です。第一次韓流ブームと言われた2000年代にはじまり、今日では、より多くの韓国文化や韓国料理に触れる機会がありますね。
 そんなブームの影響が給食にも…
 給食メニューで時々みかける…韓国風肉じゃが!!実際に給食で出るものは少々ピリ辛な味付けの肉じゃが、といったメニューなのですが、韓国にも肉じゃがってあるんだ…と思い調べてみたら、タットリタンという名称で、鶏肉を使ったものがあるそうです。
 鶏の手羽元を使い、辛めの味付けで、日本でというと鍋のような感覚で食べられているとか。締めにはうどんをいれたり、春雨を入れたりするようです。
 ひとくちに肉じゃがといっても、使うお肉が違ったり、様々ですね。
 さて、それでは中国料理には肉じゃがってあるのかしら…
 食事は一番簡単な異文化交流かも!?(事務)
 

【行事】●(有馬中学校地域教育会議)みんなの防犯教室を開催23年2月19日6時13分更新)

 18日(土曜日)に本校の体育館で有馬中学校区地域教育会議「みんなの防犯教室」を開催しました。警察官が講師になり、不審者と関わらないようにするための対策や、不審者に出会ってしまったらどのような対応をしたら良いかを学びました。20名を超す小学生や30名以上の地域の皆さまが参加されました。宮前署管内の治安状況についても詳しく説明をしていただきました。
 また、有馬中学校からは、女子ソフトテニス部のみなさんが会場準備や受付にあたり、また講習会を通して中学校を代表して学んでいました。お礼の言葉は、女子ソフトテニス部部長が務めました。
講師は、宮前警察署生活安全課のみなさま
受付や準備は、本校ソフトテニス部のみなさんで。
たくさんの参加者をお迎えしました。
 
 

●その、うらがわにあるもの。23年2月16日15時37分更新)

 久しぶりの更新。
 ある記事で、「だれでも公平に温かいものを食べられる完全給食の導入を」というものを目にする機会がありました。
 そこで感じた「違和感」について話しましょう。
 
 有馬中で給食が始まったのは、平成29年度の9月からでした(川崎市も地区によって開始時期に時差がありました)。自分自身が中学校のときも給食でしたから、川崎市に初めて勤めたときは、川崎市の中学校が「お弁当」だったことにとても驚いたことを思い出します。実際に給食が始まるまでは、多くの職員が「給食が始まることに」対して不安がたくさんありました。食缶を運ぶ導線、それに時程。なにもかもが中学校では初めてのことで、本当にたくさんの時間を費やして計画したものです。しかし、いざ始まってみると子どもたちは慣れたもので、思いのほかスムーズに移行できたことが懐かしく感じます。
 小学校のように自校給食ではないけれど、温かいものが温かいまま配膳されることにとても感動したし、一番はじめの給食のときには3年生の担任でしたが、クラスが沸き上がったことを思い出します。その日の最初の一口、とても、美味しく感じられ、なんだか感動すらしたものでした。
 
 前述の記事には、こんなことが書いてありました。「だれもが、温かい給食を公平に食べられる状態を提供できるように、自治体、行政が中心となって…」。だれもが温かい給食を、ということ自体はわからないことではありません。個人的には、「弁当」の良さもありますから、一概に「弁当」を否定されるものではないと思っています。ただ、共働きなどの増加や社会事情の変化によって、保護者の方が弁当をつくることが必ずしもできるわけではない状態が急増してきましたから、そのような観点からみるならば、給食というのは歓迎されるべきものでしょう。もちろん、食育の観点からも給食のもつ意義は小さくはありません。
 しかし、そこには、こう書かれていました。「それまでも家庭で作ることのできない人のために、自治体などによる弁当給食の提供事業はあったが、それは、冷めていて美味しくない。」「だから、温かくて、美味しいものを平等に…。」…ここに私は、とても大きな違和感を感じたのです。
 もちろん、母親や父親が作ってくれたお弁当が冷めていても「美味しくない」とは感じませんよね。では、なぜ、そうではない(例えば自治体が提供する)弁当は「美味しくない」ということをいえるのでしょう。実際に生徒や保護者にインタビューしたという複数の「声(美味しくないという声)」を根拠に、専門家といわれる人まで登場して、しきりに「完全給食の導入を」と主張するその記事をとても不愉快に感じました。
 だって、その弁当給食のうらがわには、その材料を作っている人もいれば、その弁当に加工している人。それに、手元に届けてくれている人もいるわけです。本来であれば、「美味しくない」というような声を出す生徒がいたら、「そんなことを言うもんじゃない」と諭すのが社会の役割だと思うのですが。それが、そうだそうだとあたかも正論のように主張しているわけですから、おもしろくありません。
 なぜ、このようなことを書こうとおもったかというと、その記事を目にする数日前、学校で「もっと、給食が美味しかったらいいのに」という会話を実際に耳にしたからです。味付けやメニューそのものについては、どのように思っても個人の自由です。もちろん、レストランで食べるような料理とは違うのかもしれません。
 しかし、その給食が私達の手元に届くまでのたくさんの関わっている人への配慮を欠く発言がでることに対しては、私たち教職員の力不足を痛切に感じるわけです。社会全体がそのようなことを軽んじる風潮を改めない限り、「人を思いやる気持ち」や「慮る」という文化はどんどん廃れていくことでしょう。
 もし、それを聞いた誰かの大切な人が、それを作ることに携わっていたとしたら、きっと悲しい気持ちになってしまうのだろう。
 

●新入生、標準服等採寸、販売実施中。23年2月4日11時22分更新)

 今日の10時から令和5年度入学生の標準服採寸や各種学用品の販売を行っています。
 朝から晴れて本当によかった。11時現在、外もぽかぽかの陽気です。先月の新入生体験では、新入生のみなさん自身が、「中学生になること」を少し意識したと思いますが、今日は保護者の皆様が、「お子様が中学生になること」を実感されていることでしょう。外で並ぶみなさまの間には、笑顔が溢れています。小学校を卒業すること、そして中学校への進学は、親としては大きな変化であり、うれしく、ちょっぴりさみしい気持ちもする特別な時間なんですよね。こんな、当たり前のことが、小さなことが、すごく幸せに感じることができるのは、コロナ禍での生活があったからとも言えるのでしょうか。
 少しずつ、世の中も落ち着いてきて、「中学校の制服姿を田舎のおじいちゃんたちに見せる」なんていうこともできるようになってくるのかな。そうであってほしいです。
 

●なぜ、高校に進むのか。23年1月26日19時36分更新)

 いま、3年生は受験の真っ只中です。先週の日曜日は私立推薦入試が行われています。公立高校の入試まで1ヶ月をきっています。どんなに準備をしても不安なのが「入試」です。焦らず、一歩ずつ歩みを進めてほしいと思います。
 さて、「なぜ、高校に進むのですか」と聞かれたら、なんと答えますか。今、3年生のみなさんは、面接の練習を通して考える機会があるでしょうし、一部の書類選考の学校を除けば、面接において志望動機は誰もがほぼ確実に聞かれることです。むかしは、「将来やりたいことがまだ決まっていないので、高校の3年間でみつけます」ということが通用しましたが、今は、「将来○○をやりたいが、そのためには✕✕のスキルを学ぶ必要がある。それは、ここでなければ学べない。」というような「具体的な答え=この高校でなければならない具体的な志望動機」を高校が求めている場合も少なくありません。よく、「この学校の英語の授業に魅力が…」とか「この学校には語学研修のシステムが…」とあげる生徒もいますが、ポイントは、「この学校でなければならない理由」であること、高校はそれを求めています。英語に力を入れている学校や、語学研修のシステム化をうりにしている学校は山ほどあります。そのなかで「この学校でなければならない理由」は、それなりに研究しないとわかりません。少なくともパンフレットやホームページに書かれていることを理由にあげているようでは、少しつっこまれたら返答に困ってしまうかもしれません。「どの学校にも通用する志望動機」は、「志望動機としては弱い」と考えてみるとわかりやすいと思います。
 話を戻しましょう。「なぜ、高校に進むのか」。これは、「なぜここの高校か」という個別の学校への志望動機ではなく、「高校」そのものへ進学する理由です。
 高校は、建前上、「自らの意志で進む場」なのです。「建前上」と書いたのは、実際には、自分の意志とは異なる部分、つまり「自分は高校へは進みたくないけれど、親が高校へは行きなさい」というから進学するというような場合も少なくないからです。しかし、大切なことは、そのような場合も含めて高校からすれば、あくまでも「自分の意志で進学を選択している」前提に立って迎えるわけです。だから、高校では、様々な面で自己責任となります。例えば提出物を出さなければ単位を認定されませんし、テストも一定以上の点数を取る必要があります。それに欠席や遅刻日数も増えれば進級できなくなりし、卒業ができなくなることだってあるわけです。
 中学校では、「提出物を出しなさい」と言ってくれたけれど、高校では「何も言ってくれない」。学期末の面談で単位を落とし進級ができないことを突然告げられた、というような何とも切ないできごとがそれなりの頻度で起こるのは、高校の先生方の考え方と、中学生の時のままの気持ちで取り組んでしまう、生徒の考え方のギャップにあるわけです。「自分の意志で進学しているわけだから、提出物や出欠席の管理は自分でできているはず」という高校の先生の主張は当然だといえます。
 ここで問題なのは、そのことを理解して「進学」するのかどうかということです。つまり、高校に進学することを選択するみなさんは、その中学校までの考え方を改めておく必要があるのです。高校に進む理由や学びたい理由が明確になれば、おのずとそこでの振る舞い方は決まってきますから、提出物を出さなくて単位を落とすというようなことは起こらないのではないでしょうか。「誰かに行かされる」のか「自らが行く」のか、それが大きな違いになってくるのです。
 志望動機を考えるときに、「面接のため」に考えるのではなく、結局は、将来の自分を真剣に見つめることが一番大切なことであり、繕った志望動機にならないポイントだと思います。そんな時間を大切にしてほしいと思っています。
 
 あなたは、なぜ高校へ進むのですか。
 

●異校種交流、第3弾23年1月19日14時31分更新)

 西有馬小、有馬小の先生方につづき、今日は、県立川崎北高校の先生方が研修中。授業の様子や、部活動の様子をみて研修します。生徒のみなさんが真剣に学ぶ様子を見てとても感心されていました。
 小中連携はもとより、小学校から高校、さらに大学までの教育の連携の必要性が話題になりますが、自分のいるステージとは違う校種で研修をつむことは大切なことだと感じます。ちなみに2年生では、午後、研究授業もあるため、他校から15名程度の先生方も来校されています。
 

【行事】●新入生体験23年1月18日11時6分更新)

 今週の月曜日(16日)の午後、学区3小学校の6年生を対象とした新入生体験が行われました。コロナ禍で部活動体験などが行えない年もありましたが、今年は、これまでと同じような形で行うことができました。雰囲気が伝わるので、写真を掲載したいところですが、その性質上控えたいと思いますのでご了承ください。
 午後1時45分に学区の小学生が本校体育館へやってきました。当日は、あいにくの雨。中学校へ来るのも大変だったことでしょう。
 体育館で小学生を迎えるのは、本校の生徒会本部役員です。到着した小学生は、とてもワクワクしている印象をうけました。授業や部活動などを体験できることを楽しみにしている人が多いということは小学校の先生方から聞いていましたが、不安そうな様子はあまり感じなかったのでひと安心です。それでも、標準服をまとった中学生に案内をされながら、少し、緊張気味の人もいましたが。
 体育館では、はじめ20分程度のオリエンテーションを行いました。生徒会主催で、中学校の生活全般について、また各種委員会についての説明を行いました。各種委員会についての説明では、委員長が代表で小学生の前に立ち、委員会活動内容ややりがいなどについて話をしました。
 その後は、教室での授業体験です。時間は30分。中学校は、教科担当制になりますので、担任の先生がすべての授業をするわけではありません。小学校とは違った雰囲気と、学習内容にふれることができたのではないかと思います。30分という時間は「あっと言う間」です。そう感じた人も多かったようで、体育館に戻ってきた児童のみなさんからはそんな声も聞かれました。
 続いて部活動体験、降雨によりグラウンドでの活動ができませんでした。これは残念なことですが、それでも、雨天用の活動場所で、雨天用の活動メニューを考えた、在校生のみなさんがしっかりとその部活動の魅力を伝えていました。どの団体も2年生が中心となっていましたが、1年生もたくさん参加していました。その活動の様子は、もう立派な中学生。新入生を迎える準備、中堅学年になる準備はできていると感じました。
 今回は、授業も部活動も小学生のみなさんそれぞれが希望したもので体験してもらいました。たった数時間の新入生体験ではありますが、小学生にとっては有意義で大切な時間となったのではないでしょうか。しかし、それは、ここに参加した中学生にとっても同じこと。これから、楽しみです。
 4月までは、まだ少し時間があります。残りの小学校での生活も充実したものにしてほしいと思います。
 新入生を迎えることを、在校生、職員一同たのしみにしています。小学生のみなさん、4月に会いましょう。
 

●「サウンド・オブ・サイレンス」からみるコミュニケーションの本質23年1月13日19時17分更新)

 「サウンド・オブ・サイレンス」は、有名な歌手の代表的な楽曲です。一度は、耳にしたことのある人もいるかもしれません。
 よければ、歌詞カードを手に、一度聴いた上で、この文章を読んでみてください。
 この歌手は、その解釈を聞き手にゆだね、押し付けることはしません。しかし、その楽曲の多くは強い「意志」のようなものが込められているものが多いと言われます。たとえば、「強い反戦の気持ち」が込められていながら、表面的な歌詞からは読み取れない、むしろ、反対の意味合いさえ感じられるような曲さえあります。
 さて、「サウンド・オブ・サイレンス」は訳すると、「静寂(せいじゃく)の音」というところでしょう。タイトルは、この楽曲のもつ独特の言い回しなので、少し、わかりにくいかもしれません。また、翻訳する人によっても多少違う場合もあるでしょう。
 本来、「静寂」だと音は聞こえないはずです。とくに現代社会では、音にあふれているので「無音」で暮らすことはできないでしょう。この歌はその反対のことを言っているのだと考えています。つまり、音のしない「音」。みなさんはここに大きな矛盾を感じるはず。音は、「音」だから本来は聞こえなければならないのです。この、歌にある「音」とは、人のコミュニケーションにおける、聞く意味のない「音」を表しているのではないかと思うのです。要するに、「声」という音は普通の会話では絶対に不可欠ですね。でも、その音だけを聞き、その内容を理解しなければ、単に、意味のない雑音を聞いているだけ。
 これは、「音のない音=静寂の音」と同じだと考えられませんか。
 私たちは、普段、人とのコミュニケーションのなかで、どれほど心の声や言葉(音)の意味を理解しようとしているか考えてみてください。
 この歌手は、この歌をとおして、「聞(聴)く耳を持たない」人ほど愚かなものはない、と言っているのだろうと思います。
 時として人は、その音を「聞きたいように聞き、見たいように見て、信じたいように信じる」ものです。自分に都合の良い解釈をすることもまた、同じように愚かなことだと言えるのです。たとえ自分に都合の悪いことでも受け入れる姿勢こそが、人には必要なのでしょう。人間には「察する力」があります。つまり、「行間をよむ」力。これはとても尊く、素敵なことです。本来、人と人のコミュニケーションには欠かせないものです。その人の発する言葉にどのような「音」が込められているのか、そんなことを考えながら耳を傾けることが、本当のコミュニケーションだと思います。
 この解釈は、人それぞれ。まったく別の「解釈」があったとしても良いのです。さあ、歌詞カードを手に、ぜひ聴いてみてください。
 

【ちょこっと、食育。(11)】23年1月6日12時42分更新)

 「なんだか今日の料理は茶色っぽいな…。」「文句言わないで食べて!」
 そんな会話を耳にしたことはありますか?確かに茶色が多いと、彩り豊かには感じられないかもしれませんが、料理における「茶色」はとても大切な意味を持っています。
 食べ物には「糖」「タンパク質」などの栄養分が含まれます。身体を動かすエネルギー源として大切な栄養素です。これらは加熱すると、まざってメイラード反応という化学変化を起こし、さまざまな香りを生み出します。このメイラード反応の結果が「茶色」になるのです。
 確かに思い返してみると、肉汁があふれ出すステーキ、磯の香りがたまらないイカ焼き、パラパラに炒めたチャーハンや、クッキーなどのお菓子、焙煎したコーヒーなど、世の中はこのメイラード反応を利用した調理がたくさんあります。一流の料理人は、このメイラード反応を上手につかいこなしているといってもいいでしょう。
 「今日の料理は、上手な茶色になっているね。香ばしさがたまらない。」
 茶色い料理には、是非ともそんな一言を添えてみてください。(平間)
 

●本年も、よろしくお願いいたします23年1月5日15時9分更新)

 新しい一年が始まりました。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
 

●本年もたいへんお世話になりました。22年12月30日13時38分更新)

 この「管理者のつぶやき。」もつぶやき始めて1年が経ちました。不定期かつ、好き勝手につぶやいていますので、あまり役には立たないかと思いますが、それでも折りに触れ、ここに書いた話題を保護者の皆様などにとりあげていただけるのは、とても嬉しいことです。ご家庭での話題のきっかけになればいいな、という思いが強くありますが、一部の生徒も読んでいることを知ってからは、クラスだよりでも書くような気持ちで更新をしています。
 さて、今年もみそかです。残すところあと1日。どのように過ごしていますか?私は、顧問をする部活で遠征をして最終日を終えました。午後からの活動でしたが、習い事のために早退する人が数名。中には、冬休みはずっと習い事。そんな人もいるようです。3年生にとっては、冬休みは追い込み時ですけれど、少し息抜きの時間も持ちながら頑張ってほしいと思います。
 新型コロナウイルス感染症との付き合い方もわかりだいぶん落ち着いてきたと感じる今日このごろです。年の瀬迫ったまちは、今までとかわらない活気を見せているように感じます。個人的には、良いことだと思います。あとは、基礎疾患などを持つ方も安心して日々の生活を送ることができるような薬などの開発が進み、安定して供給されるようになれば、なお良いですね。
 
 2022年、みなさまはどのように過ごしましたか。どんなことが印象に残っていますか。今年は、合唱コンクールなどもできました。4月にできなかった授業参観も、学校へ行こう週間として開催することができました。そして、たまかん祭では、さまざまな新しいことに挑戦しました。「やらない」という判断は簡単ですが、どのようにすれば「できるか」ということを考えて「やる」ことで、たくさんの可能性がみえてきます。そんなことに気付かされた1年間でした。そんな行事のなかでは、PTA役員の皆様をはじめ、たくさんの保護者の皆様に助けていただきました。体育祭や文化祭、たまかん祭でのご協力もそうですが、みなさまの力なくしてはどの行事も成功することは難しかったでしょう。本当にありがとうございます。(管理者)
 
 「2022年度」は、まだしばらく続きます。引き続き、よろしくお願いいたします。
 本年も大変お世話になりました。どうぞ、良いお年をお過ごしください。
 
 校長 野島 隆行
 有馬中学校 職員一同
 

●「見る前に跳べ」22年12月19日18時10分更新)

 「見える前に跳べ」…これは、自分が小学生の時の担任の先生が、卒業の時に言ってくれた言葉。小学校6年間担任をしてくださった先生でした。
 自分は、「石橋をたたいても渡らない」ほどの慎重派。慎重派というと聞こえがいいけれど、思い切ったことをしたあとの結果に怯えて、一歩を踏み出す勇気が持てないだけだったように思います。その先生は、こんな私に、『いいから、まず、やってみなさい。』と言ってくれました。やりたいことがないわけではない、挑戦したいことがないわけではない、ただ、それに挑戦する勇気をもてなかったのです。
 挑戦してみると、「思いのほか困難ではないかもしれない」し、「予想外の成果を得られることになるかもしれない」。ものごとをよく考えて行動することは大切だけど、あなたの場合は、まず何も考えずにやってみなさい。そう、言ってくれたのでした。
 今でも、私は「石橋」をたたきます。そして、その結果、ほぼ渡らないで終わる。大人になると、新しいことに挑戦するのは怖いのです。変化を受け入れるのも、失敗するのも。これは、性格なのだと思います。結局、これからも変わらないでしょう。
 学校の先生というのは、みなさんには、いつも、「よく、ものごとを考えて行動しなさい」と言います。私も、幾度となく口にしてきた言葉です。もちろん、「その結果に対して責任が生じる」という教えはあると思いますが、ただ、「挑戦しなさい」と言った時に「教員に生じる責任」を重く感じるのもあるかもしれません。私たちは、「何かを始める時は、その先のことをよく考えなさい」という立場にたってみなさんと接することの方が多いわけです。
 しかし、そんな私にとって「見る前に跳べ」という言葉はいつも心の片隅にあるものです。自分にないものへの憧れみたいなものかもしれません。
 みなさん、いろいろ大変な時だけれど、いろいろ不安もあるだろうけど、いろいろ考えてしまうだろうけど、まず、やってみてください。「見る前に跳べ」。じつは大抵のことは何とかなるのかもしれませんね。さまざまなことに挑戦して、そして大きな社会に飛び出してほしいと思います。
 
 なんで、突然こんな話題を、と不思議に思った人もいることでしょう。
 海外で活躍をしているある若いスポーツ選手が、「外国に行くのに言葉に不安はないですか」と聞かれて、「そんなことを考えていたら、私の夢(海外のクラブでプレーする)は叶わないし、今を逃すともう、次はないかもしれない」と話すのをみて、ふと、そんな自分のことを思い出したのでした。
 

●【行事】地域清掃(ハーモニー級とPTA厚生委員会合同)22年12月16日12時29分更新)

 昨日、15日(木曜日)の9時から10時30分までの間に、ハーモニー級とPTA厚生委員会合同での「地域清掃」を行いました。この地域清掃は、伝統的に行われていましたが、新型コロナウイルス感染症拡大の影響を受けて、しばらく中止となっていました。地域清掃は、こども公園とふるさと公園周辺で行いました。ご参加頂いた保護者のみなさまも寒い中大変お世話になりました。また、本校からは、ハーモニー級の職員と、学校長も参加しています。学校長の登場に、やや緊張気味のみなさんでしたが、それでも活動中は打ち解けてたくさんの交流ができたようです。
 目に見えてきれいになる達成感とは別に、普段できない交流もこの行事の魅力のひとつです。
 活動の様子を、少し紹介します。
みなさま、たいへんお疲れさまでした。 

●ことば。22年12月15日11時12分更新)

 「ことば」、これは私たちがコミュニケーションをとるためには欠かすことのできないものです。ですから、授業でも対話を大切にした授業展開を心がけています。トークと、ジョークと、チョークの授業は、むかしの話。今は、1時間のうちに教員が5分もしゃべることなく終わることもあります。もとめられる教員の役割は、「つなぐこと」。難しい言い方をすれば「ファシリテーター」というところです。
 ここ数年でいわれる「協同的な学び外部リンク」が進められる中で、班学習なども急速に盛り込まれるようになりました。「学び合い」というような言葉も浸透してきました。ただ、学び合いをはじめとした班学習などは「目的」ではなく、対話的な学習を進める「手段」ですから、やれば、即コミュニケーション能力が上がるわけではありませんし、協同的な学びの目的を達成しているということもできません。ただ、今日の話題は、協同的な学びの大切さについてではありません。
 「ことば」。
 ことばは大切です。改めて言うまでもないことです。これは、授業で話してもたいていの人がうなずいています。コミュニケーション活動に得手不得手はあっても、ことばの大切さは、理解している人が多いということでしょう。その先の話です。
 ことばも、やはり「手段」にすぎないということ。ことばそのものは、それだけでは無味乾燥な文字記号の羅列です。人々はそこにさまざまな感情をのせます。感情をのせることができないSNSトラブルが多いのは、まさにそのことばの特質を示した典型例と言えそうです。しかし、その発した人の人となりを知っていると少し状況は変わってきます。相手に好意をもっていれば、そこに綴られたことばの意味を汲み取ろうとします。その時、ことばは単なる文字記号の羅列ではなくなります。コミュニケーションに欠かせないことは、「ことばを使った対話」そのものではなく、双方が、汲み取ろうとする姿勢なのです。相手に興味がなければ、どんなことばが発せられても、汲み取るとろうとは考えません。たいていの行き違いはそのへんに理由がありそうな気もします。興味がない人にとっては、ここの「管理者のつぶやき。」もダラダラと文字が綴られた意味のないものだと感じることでしょう。文字の量を考えれば、読む気もおきませんね…。
 ただ、相手の人となりを知らなくとも「興味」をもてば見えてくるものや感じ方が、少し変わる部分もあるでしょう。たとえば、自分がちょうど、悩んでいることが話題にあがっていれば、読んでみようと感じるかもしれません。そして、批判や、共感もそこから生まれるわけです。
 たとえば、私たちは、好きな歌手がうたう歌には感動しますし、大切な人からもらった手紙に涙することがあります。それは、興味があるからだということです。
 
 私の好きな歌手。もう、亡くなっていますが、ある楽曲では、「五月雨」を「緑色」と表現し、またある楽曲では、この国のことを『睦月 如月 弥生 卯月 朝から夕べへと 雪を舞い遊び 雨に濡れ 雲をたどり (中略)湯の町 門前の境内 城跡 漁火よ 岩清水に触れ 石畳 川を眺め』と表現しています。私は、これはとても美しい「ことば」だと感じますが、そう感じない人も実際にいるわけです。それを、想像力の欠如、とかたづけることはできません。
 歌手の話でいえば好き嫌いですむかもしれませんが、社会活動において関わる人同士のことであれば困ります。
 どこかの話題でふれましたが、お互いに、無関心であることが問題視される今日このごろです。興味をもって、知ろうと思ってもプライバシーなんてことがいわれて難しい時代であることは間違いないのですが、私たちの国には義理人情を前提に人とつきあい、関わり、「ことばの行間を読む」心を持ち合わせていた時代があったわけです(今、そんな心がないとは言いませんが、少なくとも希薄になっているのではないでしょうか)。
 他者を思いやる気持ちは、いわゆる「自己犠牲」的な考え方にもつながっていくわけですが、戦中のような「集団主義的」な考え方を強制されていくようなことは論外としても、「個」を大事にしていくがゆえ、他者のことを気にかけることの大切さが置き去りにされてしまっているような気がしてなりません。
 おたがいにもっと興味をもてる時代になるためにと考えるならば、コミュニケーションなどの対話的活動を重視した授業もありなのだと思います。
 

●【その2】「どう、とらえるか」すべては、自分次第。22年12月13日9時40分更新)

 運がない、ツイていない…、そんなことをいつも考えて生きるわけではないけれど、考えられずにはいられないくらいに不運が続くことがあります。しかし、「やまない雨はない」「明けない夜もない」。どんなことにも終わりはくるのです。転機となる出来事が。
 私にとってそんな一筋の光は突然やってきました。
 ある日、自動販売機でジュースを買ったらなんと、「大当たり」。もう一本無料で手に入ることとなりました。「そんなことぐらいで、一筋の光とか、そもそもそんな悩むほど不運じゃなかったんだろう」と思った、そこのあなた。「そんなことにも、すがりたいほど、落ち込んでいた」のです。とにかく、そんな小さなことでも、その時の自分にとっては宝くじにでも当たったような幸運に感じました。その一週間前に、その自販機にお金を入れようとして落とし、絶対に開けることのできないような側溝に500円玉を奪われていましたから、それを取り返したような気持ちにもなりました。
 値千金の「あたり」。私は自販機に並ぶ「みほん」とにらめっこしながら、真剣に、そしてもっとも得をするであろうものに狙いを定めてボタンを押しました。
 あれ?そのジュースは出てきません。2度、3度と押されるボタン。しかし、そのジュースが出てくることはありませんでした。よくみるとそれまで赤く光っていたはずの選択ボタンは消灯しています。
 どうも、制限時間があるようです。まあ、冷静に考えれば当たり前の話ではありますが、その時の自分にとっては本当の悲劇でした。しかし、話には続きがあります。その帰り道です。私からは、おそらく黒いオーラがゆらゆらと出て見えたに違いありません。それほど落ち込んでいました。こんなことなら、当たらなかった方がどれほど良かったか。
 そんな、自分の携帯に家族から「炭酸ジュースを買ってきてほしい」との電話が入ったのです。今、思えば、コンビニかスーパーにでもよれば良かったのですが、バスを降りた私は、近くの自販機で買うことにしました。目の前に立つ自販機、それはまさに不幸の象徴のようでした。とにかく、買ってすぐに帰ろうとしました。…ピピピピ、ピーーーーーーー「7777」とそろう数字。
 そうです、自販機は違えど、奇跡的な連続当選を果たした瞬間です。やはり神様はいる。これが今度こそ、私にとっての光明となるのだと確信しました。
 「早く決めよう、早くボタンを押そう。」そう、心のなかでつぶやきながら、今度こそ一つのボタンを押すことができました。
 あれ、、、、???…(混乱する自分)。自分の手にしているのは、選んだはずの「2本目の炭酸ジュース」ではなく、いかにもさわやかな絵柄のミネラルウォーターでした。(ネタでしょ、と言われるけれど、これは、全部ノンフィクションです)
 私は、その澄んだミネラルウォーターをみながら思いました。世の中にはどうしても抗えないものや「運命」があるとするならば、いちいち気にしても仕方がないのだろうと。この先どんなことが起こるのか、楽しんでしまえばいいと。
 結局、楽しむことはできなかったけれど、でも、いろいろ滅入っていた自分が馬鹿らしく思えてきたのも事実です。私の「ツイていない期」が終わっていたことに気づいたのは、それからしばらく経ってからのことでした。今日のひとこと「なるようになる、なるようにしかならない。」(終わり)
 

●【その1】「どう、とらえるか」すべては、自分次第。22年12月2日19時43分更新)

 12月になりました。「師走」です。3年生は、進路面談。1、2年生は今日まで定期テスト。おつかれさまでした。
 さて、「私はツイてない」と思うことがよくあります。個人的には、運とか、ツイているとか、いないとかあまり気にするタイプではなく、起こったことは受け入れるし、たいていのことは努力次第で打開できると考えているタイプなので、うまくいかなければ「自分の努力が足りなかった」か、相手がいることならば、「相手が自分よりも勝っていた」と考えることが多いのです。けれど、あまりにも、不運なことが続くとやはり不安になるものです。
 2017年くらいからの数年間は、自分にとって本気で悩んでしまうくらいに不運なことが続いていた時期がありました。
 しかし、そんな中でも一筋の光といいますか、すべてが好転するきっかけになるんじゃないかと思えるような出来事はかならずあるのです。「やまない雨はない」とか、「明けない夜はない」とはよく言ったものです。
 そんな、経験を、次回。(続く)
 

●異校種交流研修。22年11月25日10時46分更新)

 本日、「異校種交流研修」として西有馬小学校の先生が2名、本校で研修中です。研修では、授業の様子やクラスでの様子などを参観します。廊下などでは小学校で関わりのあった生徒と交流する様子も。
 小学校の先生からみた中学校はどのように見えるのでしょうか。興味があります。
 ちなみに来月は鷺沼小学校、1月は県立川崎北高校から研修の受け入れを行います。
 

●【行事】2年生の校外学習から…職業、職場を知ることは社会を知ること22年11月21日12時21分更新)

 明日、2年生とハーモニー級が東京方面、横浜方面での校外学習を行います。
 総合的な学習の時間の一環として、企業訪問を行います。新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、ここ数年「職場体験」もできていませんから、2年生としては貴重な時間です。それぞれの班がアポイントをとりながら訪問先を決定しました。
 ずいぶん前になりますが、職場体験学習を行った際に、ある事業所の方が話してくれたこと…『私達の仕事は、信頼が一番。3年かけて築いた信頼も、たった一度のミスで、音を立てて崩れる。一度失った信頼を、再び手に入れるには、その倍の時間がかかるんですよ。…続けて『中学生にはこのあたりの話をしても、むしろ「理解しなさい」というのが、難しいのかもしれません。けれど、それほど遠くない将来に社会に出た時、中学生とは違う「責任」が生まれる、ということを学んでくれればうれしいです。』
 たった1日です。ただ、「すみません、忘れました。」「やってません。」「聞いていません」「間違えました」と簡単に済んでしまうことが多い中学生にとって、そうでは済まされない世界がすぐそこに待っていることなども、学ぶことができるとよいです。
 学びに刺激のある一日となることを願っています。校外学習の様子はこちらから。
 

【ちょこっと、食育。(10)】22年11月16日9時54分更新)

 ストレスがたまって辛い…そんな時 食生活を見直すことで改善する可能性があります。ストレス緩和に効果がある栄養素を食事からバランスよくとることで、ストレス軽減が期待できるのです。
 特におすすめは、「牛乳」、「大豆」、「卵」。ストレス対策にいい栄養素がまんべんなく入っているからです。
 イライラしている時、つい甘いものを食べたくなりますが、生の果物やチョコレートを選ぶと効果的です。
 また、ストレス緩和におすすめの食べ物は、身近なコンビニでも手に入ります。材料に「牛乳」か「大豆」か「卵」が入っているものを選ぶこと。ヨーグルトやたんぱく質が入ったサラダなど、おすすめです。温かい飲み物は気持ちを落ち着かせてくれる効果があり、ホットココアがいちおしです。
 心がお疲れの時こそ、食事に目を向けて、取り入れてみるのもいいかもしれません(^_^)(宮木)*出典、参考「からだにいいこと」HPより
 

●【その5】「趣味」をやり切ることは難しい。(最終回)22年11月15日18時05分更新)

 呪文のような「採集記録」。「蝶屋」ということばさえある世界の話。
 ずいぶん特殊な世界ですが、そこに関わる人たちはそんなことは微塵も考えていないことが多いようにも思います。ただ、その記録の積み重ねは、時にその世界を揺るがすほどの生物学的な大発見をもたらすことさえもあるのですが、学会誌などに論文の寄稿でもしない限り、埋もれてしまうわけです。公式には認められていない「産地」で、「生息するはずのない種類の蝶が採集された」なんて話はそれなりにあります。ただ、そこで継続的に発生しているか、つまりそこで「偶然、1年だけ」でなく、連続的に羽化しているかどうかが大切なことに対して、それを証明していくことが難しいので、それほど話題にならないのです。
 さて、もう少し、この世界の特色を話しましょう。「魅力」とは言っていません。「特色」です。
 採集者のこだわりは、じつに多岐にわたります。
 「種類をひとつでも多く採集したい人」、「種類を限定して、その種類の産地、地域にこだわる人」、「ある特定の属種のみ採集する人」など、とにかく一筋縄ではいかないことが大きな特色です。たとえば、「ある特定の属種のみ採集する人」は、自分の興味ある属種でない場合には、どんなに珍種がいようとも「自分はそんなものには興味ない」といった素振りでやり過ごしますが、ある特定の種を見つけたとたんに「獲物を狙う眼」になります。彼らは常に周囲に目を配り、10メートルもある梢の先をちらちら翔ぶ蝶を見つけ出し、これまた瞬時にその種類を特定します。これは、興味のない人には理解できないことかもしれません。前回書いたように、「蝶に興味のない人が白い蝶をみたら」十中八九、「モンシロチョウ」だというだろうし、同じように「黒い大きな蝶」をみたら、それがどんな種であろうと「クロアゲハ」というに違いありません。もしかすると、もはやモンシロチョウでもクロアゲハでもなく、「単なるチョウ」と認識するだけの人も少なくないはずです。
 蝶を採集する人にとって、一瞬で種類を特定することができるか否かはなかなか重要です。あくまでも本命種を採集するために一刻も無駄にするわけにはいかないのです。私自身も特技というわけではありませんが、日本に産する「ほぼ」すべての種類は翔んでいる姿で見分けられます。「ほぼ」というのは、シジミチョウのなかで「ゼフィルス」とよばれる、ミドリシジミの中には、翔んでいる時点では判断がつきにくいものもいるからです。それでも、葉などにとまれば、とまる場所(樹木の先端、中ほど、下草など)や樹木の種類から特定は比較的容易なのです。
 私がまだ小さな頃に近所で網をもって遊んでいると、散歩をしている人から「ほら、ぼく、大きなクロアゲハがいるよ」と声をかけられるわけです。自分としてはまったく興味のない「駄蝶」であるけれど、一応気をつかって「ありがとうございます!(満面の笑み)」と、追っかけるふりをしてみるような、変な子どもでした。
 蝶を採集するのに欠かせないもの。料理人には包丁、教員にはチョーク、蝶の採集には「捕虫網」。捕虫網といわれてどのようなものを想像しますか?「麦わら帽子の少年が虫かごを肩からかけて、手には虫取り網」というようなイメージとはかけ離れています。採集しようとする種類によっては4、5メートルもある樹上にいるわけですから、それを採集しようとするとさらに長くなければなりません。5メートルを超す柄の先には、6、70センチの枠と網がついています。伸縮性で持ち運ぶときには50センチほどに縮められます。そんな道具をもって、鬼の形相で待ち受ける姿は不審者のようです。ただ、先にも話したように理解されることを求めているかというと、そうでもなく、人からどのようにみられるかということは、大きな問題ではない人が少なくないのも事実だと思います。祖父も私もはじめこそ、興味深く質問してくる人に対して、「あれこれ、貴重な蝶がいるのだ云々」と説明していましたが、やがて自分から説明することはなくなり、「相手の言葉に、適当に相槌をうちながら流す」。そして、適当なところでその場所を移動する、そんな感じでした。
 最近は、どの地域も希少種を採集を禁止する条例をつくったりするようになりました。とても良いことでしょう。確かに、天然記念物や採集禁止地域で採集する人も一定程度ありました。これは、違法行為ですから、論外です。しかし、同じ種でも、自治体によっては、採集可能な場所があったりします。採集する人はそんな場所を探し、自分だけのポイントを開拓するわけですが、「地域の人たちとの共存が極めて難しくなった」とある採集家は話します。捕虫網を持っているだけで通報されたり、とがめられる。悪者のように扱われる風潮が強くなったといいます。『これまでは、まったく興味を示さない人が、突然、環境保護とか種の保全とか言い出して、採集するすべての人を締め出そうとする。自分たちは天然記念物をどうこうしようとしているわけではないのにね…。家の中に出てくる「あれ」のことはあんなに嫌うのに…。』と話していたのは、前述の採集家。別に採集家を擁護するわけではありませんが、個別具体の状況を考えずに、世間の風潮をそのままあたかも自分の意見や考えに置き換えている人も少なくないように感じてしまいます。そのような側面からは、この人(前述の採集家)の「蝶も家のなかに出てくるアイツも同じなんだから」という理論はわからないわけではありません。
 難しい時代になったのか、むかしがおおらか過ぎたのか。
 
 自分は結局、全体の3分の1くらいの種を記録して、これまた時間がなくなりました。つくろうとすれば、つくれたのかもしれませんが、目的の蝶に出会えなかったときの「ひと夏を無駄にした徒労感」にあらがえなくなったのも事実です。
 私は、「熱しやすく冷めやすい」、そんな性格もあってかスケールの大きな趣味をもちすぎるから中途半端になるんだと、周りの友人には笑われます。
 ただ、孤独な山の中で、採集家なら誰もがうらやむような垂涎の蝶に出会ったときの感動は私の中で明確に生き続けています。この感覚は、経験しないとわかりません。そして、それらの経験は今の自分の考え方や生き方に少なからず影響を与えています。(おわり)
 
 …思い出しました。【その2】で、「着地点としては、「中学生に向けてのメッセージ」も含めたものになるようにするつもりです。」と書いています。
 「蝶の採集」がいかに奥深いのかを話してきましたが、それを一定程度理解し、奥深いと思える度量はあっても、理解できるかということや共感できるかということは全く別の話になるわけですが、興味のない人が読んだ時、どのように感じるのか聞いてみたい気もします。これまで再三書いたように、私は「共感」を求めてはいません。そして理解をしてほしいとも思っていません。自分は、これらのことは誰かのためにやったことでも、始めたことでもありません。自分が勝手に興味を持ちはじめ、そして、仕事や家族と折り合いをつけてまで続けようと思わなかっただけです。
 自分がやりたいと思ったことは、どんなことでも挑戦をしてみるといいと思います。どうしてもやってみたいのならば、家族を説得すればいいし、それをすることが躊躇されるならば、それまでのことです。周りがなんと言おうと、どんなことであろうと無駄なことはないと思っています。「私が費やしてきた時間」は決して少なくはない時間です。けれど、「趣味はやりきらなければならない」ものではないと思います。
 三日坊主の何が悪い!そのくらい開き直っていろいろなことに興味をもつ勇気を、と思います。(本当の、おわり)
 

●【その4】「趣味」をやり切ることは難しい。22年11月11日13時20分更新)

 ふたつめに、極めようとしたこと、それは「日本の蝶(ちょう)」の採集。
 きっかけは、鉄道員だった祖父が祖母と余暇を利用して採集旅行をしていたことにはじまります。小さなころから祖父母の家で過ごすことが多かったものですから、自然と興味を抱くようになったわけです。
 ところで、これを読んでいるみなさんは蝶といって思いつくものはなんですか?「虫なんて!!絶対無理!!」という場合も、少しは思いつくものがあるのではないでしょうか。思いつくけれど、考えるものイヤだ、という人は別として、そうでない場合は、考えてみてください。蝶の種類ならなんでも良いです。
 モンシロチョウにアゲハチョウ、ちょっと、自分は知っている!という人なら、小さなシジミチョウ。茶色や黒の小さな「蛾(ガ)」のようなものはじつは、「セセリチョウ」という蝶であることも。教室に、小さなセセリチョウが迷い込んで来たのを見て、「センセー、蛾が入ってきてます!」というのを聞いて「それは、蝶だ」といってもおそらくほとんどの人は信じないほど、地味なものもいます。小学生の頃、セセリチョウを「蛾」だといった友達に、それは蝶だと教えてみたら変な目でみられてから、それを訂正することがなくなったのは、今となれば良い思い出です。
 ニュースをみていて、「暖かく春の陽気になり、モンシロチョウがとんでいます」と話すアナウンサーの後ろに映りひらひら舞う白い蝶が、じつはモンシロチョウではなく、「スジグロシロチョウ」であることに気づくことができる人は、かなりのものです。
 そんなわけで、祖父の影響ではじめた「蝶の採集」ですが、これもなかなかの時間と根気を要するものでした。「鉄道」の場合は、どんなに乗りにくい場所にあろうと、どんなに本数が少なかろうと計画さえすれば必ず乗ることができます。
 蝶が相手の場合にはそうはいきません。産地によって、また、種類によっては1年間のうちで1週間程度しか発生する期間がないものも少なくありません。「そろそろ出ている(羽化している)だろう」と予想して5、600キロの道のりを移動して、産地についたらば「まったく、影も形もない」なんてことはよくあります。そうすると、次のチャンスは1年後。予想よりも気温が上がらない日が続いたり、また、その逆の場合にも、発生(羽化)するタイミングはずれてしまうのです。今でこそ、蝶の採集を生業にしているような人たち(そんな人もいます)は、情報網を駆使して、「北海道で〇〇が発生した」と聞けばSNSで共有して北海道へ飛び、「九州の〇〇山系で、△△種の羽化が始まりそうだ」と聞けば、九州へ飛ぶ。そんなことが可能になっていますが、SNSやインターネットがないときには、まさに「勘」を頼りに動くしかないわけです。
 そして、晴れて目的の種を採集した人は、記録帳を満足気に広げ、『☓☓年☓☓月☓☓日、〇〇県〇〇山〇〇峠西尾根、アイノミドリシジミ♀AB型2頭』と書き入れるのです。(続く)
 

●【その3】「趣味」をやり切ることは難しい。22年11月2日12時23分更新)

 「日本全国・JR全線完乗」。乗車した路線と、乗車した日にちを全線、全駅が記載された路線図に記録します。これは、計画している段階と、帰宅後に乗車区間を墨入れする瞬間が一番楽しいと思っています。
 旅行を始めて、列車に乗っているときは観光をするわけでもなく、ただ、ひたすら列車に乗っているわけです。
 「風景がみられるじゃないか」と思った人は、自然な反応でしょう。はじめは風景を見ることも楽しみの一つですが、7、8年経ってくると路線図を塗りつぶすことのできる路線まで行くのに、何度も乗車した道を通ることとなるのです。東北の未乗区間を攻めようとすると、だいたい残る場所は「単線で1日に10本も列車がないような路線(北海道なんて1日に5本ない路線もありました)」です。そこに行くためには10時間以上かかり、そのために利用する東北本線や常磐線、日本海側の羽越本線などは何十回と乗っているため「風景を楽しむ」気持ちなどが起こらないのが本音です。
 目的地までの移動時に一番飽きてしまうのが、東海道本線。
 これは、もはや「苦行」とも言える時間です。西に行こうとすれば、ほぼこの路線を使うことになります。気分を変えようとするならば、高崎線、上越線、信越線から北陸をまわることができないわけでもありませんが、「時間の無駄づかい」になります。中央本線を通り、塩尻経由で名古屋方面に出るのも風景に変化があって幾分かは楽しいものの、時間効率はおそろしく悪く、時間効率を一番とするならば東海道本線を利用せざるをえないのです。
 全線の8割は乗車しているものの、後半は北海道や地方の廃線予定の区間を中心に攻めていたので、5日かけても「総移動距離」に対して新規乗車区間は50キロに満たないこともざらでした。
 九州のほうの地方線はどう攻略しようか、などと考えているうちに就職して時間がつくれなくなりました。
 今、その「JR全線路線図」はほこりをかぶり、実家の本棚に置き去りにされています。もう、二度と、この全線路線図に墨入れされることはなさそうです。
 次は、もう一つの趣味を。(続く)
 

●ほっこりとする出来事。22年10月27日18時38分更新)

 「学校へ行こう週間」へのご来校ありがとうございました。
 行事が少しずつできるようになり、また、長い間、学校から保護者の皆様の姿が消えていたので、参観の様子を見てうれしく思いました。
 
 さて、コロナ禍でなんとなくぎすぎすしている雰囲気がある世の中ですが、とてもほっこりとする出来事がありました。なんとなくうれしくて共有したいと感じたので、つぶやきたいと思います。
 先日参観にみえた、ある保護者の方がマスクを忘れてしまったとのことで、職員室に立ち寄られました。何気なく対応し、マスクを1枚手渡しました。そんなことは、すっかりと忘れていましたが、今日、授業で教室へあがると声をかけられ封筒を手渡されたのです。その封筒には、マスクを差し上げたことへのお礼が書かれた一筆箋と、個包装された2枚のマスクが入っていました。
 これを読んだ、みなさんはどのように感じますか。あたりまえだと感じますか。それとも、そのようなことはやりすぎだと感じますか。小さな頃から祖父母の家で過ごすことが多かった私は、祖父母に「人様に受けた恩は倍にしてでも返しなさい」「人として義理と人情を忘れたら、おしまいだ」というようなことをずっと言われてきました。封筒の中の2枚のマスクを見たときにそんな、祖父母の言葉を思い出したのです。
 大した価値のあるものを差し上げたわけではないのですが、その気遣いはとても心があたたまるものでした。以前担任をしているときに、弁当のおはしを忘れた生徒に「割り箸」をあげたことがあります。翌日、その生徒は、袋に包まれた複数の新しい割り箸を持ってきて、「昨日はありがとうございました」と私に差し出したのです。忘れた生徒用にたくさん割り箸は用意していたのでとくに求めたわけではないけれど、その気持ちがとても嬉しかったのを思い出します。今、思えば、箸を忘れたことに気づいた保護者の方が事情を聴いて、私から割り箸をもらったことを知り、持たせてくれたのかもしれません。
 今回、何気なく差し上げた1枚のマスクが、こんなに温かいきもちにさせてくれるわけですから、コロナ禍でも私達の心の支えの根底にあるのは「義理と人情」なのかもしれません。
 なんとなく、義理とか人情とかいうと古臭い印象をもたれがちな昨今。けれど、そんな気遣いが誰かを元気にし、活力を与えているのだと思うと大切にしたいと再認識させられます。
 日本では、むかしから、「生まれは葛飾柴又、義理と人情の人」のような人の心意気を求め、そして尊いものとして、大切にしてきました。けれど、いつからか、そんな考え方は二の次になり、やがて面倒くさがる風潮さえ生まれました。
 きっと、その様子をみて、それを教わるご家庭の子どもは、自分が親になったときに、子どもに同じように教えることでしょう。
 そんなことを考えた時、気持ちがほっこりとした気がしました。
 

●【その2】「趣味」をやり切ることは難しい。22年10月20日18時55分更新)

 趣味の話。
 「趣味はなんですか?」…面接練習で困った顔をする3年生を見て、自分を振り返る機会がありました。
 自分には、これまで「小さなことだけれど、コツコツ時間をみつけて」というような普段から気楽に取り組めるような趣味はほとんどありませんでした。けれど、だからといって、余暇をボーッとして過ごして…というわけでもないのです。私がもっとも「時間と情熱」をかけたことのあるものは2つあります。それを、趣味といっていいのかわからないけれど、「人生をかけてでもやり切ろう」とずいぶん本気で思っていた時期もあるのも事実。
 着地点としては、「中学生に向けてのメッセージ」も含めたものになるようにするつもりです。少々個人的な話題になることも考えられますが、寛容な心で読んでいただけるとありがたいです。繰り返しになりますが、共感はもとめていません。
 まず、ひとつめ、これは、「列車の窓を開けて」でもふれた「日本全国、JR全線完乗」です。読んで字のごとく、日本全国のJR線を乗りつぶすことです。結論からいうと、十数年をかけておよそ8割を乗ったところで諦めました。すごく、時間が必要な「趣味」です。格安切符を利用しましたし、連日夜行列車での移動でしたから、宿代も必要なく金銭的なものが諦めた理由ではありませんでした。お金がなければ、ないなりの旅行ができていた時代だったのかもしれませんが。私の中での最大の課題は、就職して時間がとれなくなったことでしょう。
 少し話題がそれますが、「乗り過ごした経験」はありますか。今の中学生はあまり電車ではでかけない、というような話をどこかで耳にしたことがあります。これは、少し極端な話であるようには思いますが、切符の買い方を知らなかったりする中学生が多いのは、ただ単にICカードが普及したというだけではないように感じています。乗り過ごした経験などもあまりないかもしれませんね。
 これまでの人生最大の乗り過ごしは、横浜から乗った東海道線で藤沢で降りるはずが、ついウトウト。目が冷めたら見知らぬ駅に。窓の外の看板には「豊橋(→愛知県の南東部に位置する都市。東三河地方の中心都市)」と書いてありました。これは、もうどうにもならない乗り過ごしです。そのまま名古屋まで行き、新幹線で戻りました。しかし、不思議と焦りはなかったですし、むしろ、ワクワクしたのでそれまでの経験が功を奏したのかもしれません。(続く)
 

●【その1】「趣味」をやり切ることは難しい。22年10月17日19時31分更新)

 久しぶりの更新。この前までは「ルール」について、少し難しい話題でした。先日、中学生の中にも、この記事に目を向けてくれている人がいることがわかりましたので、中学生に向けて書いてみます。長くなるので、数回に分けて。
 3年生がいよいよ進路に向けての準備が本格化します。
 「趣味はなんですか。」…そう聞かれて戸惑っていたのは、入試を控えて面接練習に臨んだ中学3年生(今年ではありません)。
 みなさん、「趣味」はありますか。もっとも、趣味などと難しく考えなくとも、「興味があって続けていること」でもよいのですが。塾であったり、習い事であったり、そんな余裕はありません、というのが最近の中高生の傾向だそうです。人それぞれに、「ひそかに凝っているものや特技」があって、そんなことが「意外な一面」として学年レク大会や、行事の際に見られるのも楽しみのひとつなのですが、ここ数年は集会なども難しく、そんな驚きも減りました。
 さて、自分の趣味はというと「ジョギングです。」とサラリと書けるようなものではありませんし、それこそ趣味のために使う時間もありませんので、「その道を極めることなく」今日に至ります。(ジョギングも奥が深いとは思いますが…)。自分の体験にふれていこうと思います。
 とくに、共感を求めているわけではありませんから、そんな人もいるのかという程度の広い心で読んでいただけるとありがたいです。(続く)
 
 

●【その5】「ルール」は何のためにあるの?(最終回)22年9月27日20時41分更新)

  「ルールが守られないことがあったら、その行事は失敗なのか」という方向で話しましょう。
 経験談から。
 ある時、宿泊行事を終えて、学年だよりにこんな記事を書いたのです。「…最高の3日間、満点をあげたい云々」。そのときの私は、心からこの行事は、「成功」したと感じていました。無事に帰ってきたこともそうですが、この一連の学習を通して多くの人が成長できたと実感したからです。ところが、後日何人かの保護者の方から、こんな意見をもらいました。『子どもからルールを守れない人がいて、先生はとても怒ったそうですね。臨時の全体集会まで開いて。それなのに、満点て…。』
 私が、「満点」と書いたことへ違和感を感じた方も少なからずいたのです。きっとそれは、もっともな感情でしょう。ここで、このように文章にしてみると、読んだ人の多くは、それを理解できるはずです。
 確かに、ルール違反はありました。前にも書きましたが、ルール違反に大きい、小さいはありません。ですから、その内容にはふれません。しかし、私は確かにとても強く叱った記憶があります。自分たちが決めたルールを守らなかったこと。そして、周りに迷惑をかけていることに気づこうとしない行動に、とても腹が立ちました。
 
 しかし、同時に、私はその行事の中でこんな生徒の姿も目にしました。
 集会で「トイレのスリッパが乱れている」と話をしたあとには、人知れずスリッパを整頓してくれている人の背中を見ました。その集会で、「廊下を走らない」と話しました。けれど、みなさんが走っていたのは、「しおりを見て時間を守ろうとしたから」だと知っています。その話をしたあとには多くの人がタイトな予定の中で、無駄のないように行動するように声を掛け合っていました。また、同じ日程で宿泊したある中学校の人達が活動しているホールのそばを通るときに、「○○中がいるから、静かにしよ」という声を掛けてくれていた人がいることを知っています。その声を掛けてくれた人は、たぶん、その曲がり角の先に私がいたことは知らなかったはず。
 よく学校行事は、その行事の成果や結果だけで「成功」、「失敗」と評価されることがあります。でもこの行事は、あくまでも3年間という成長の時間の「ひとかけら、一片」でしかありません。例を出すと、「体育祭で応援賞をとりたい」と誰もが言います。では、「応援賞をとれなかった」ら失敗なのか、ということです。もしも失敗だというのなら、自分たちのそこに懸けた想いや時間もすべて否定することになります。反対に、賞をとるために誰かが悲しい思いをするような「優しくない」行動がある中で取り組まれた行事は受賞しても「成功」とは言い難いでしょう(合唱コンクールで音程を合わせるのが苦手な子に、「歌うな」というなど、典型的な例)。
 応援賞をとれたクラスが得るものと、同じだけの何かをとれなかったクラスの人たちは学びとります。その、「何か」をどのように生かすのかということこそが「成功」「失敗」の基準であり、尊いものだと思うのです。
 だから、当時の私も、学年の先生方も「自分自身の判断」でこれだけのことを実践して示してくれた、この行事は満足のできるものだと判断したのです。
 確かに、ルールを守ることができなかった人がいたことは事実でした。そのことで、予定の一部を変更して集会も行いました。ただ、その事実よりも、ルールを守ることができなかった人のその後の行動はもちろん、多くの人が、さまざまな人や物ごとに気遣いながら生活できたことが大切なことだと思うのです。
 みなさんはどのように思いますか。
 「ルール」は何のためにあると思いますか。
 今の社会で、人との関わりを断つには、山にこもって仙人みたいな生活をするしかありません。これは、現実的ではありませんね。この社会で、心地よく共生していくために、自分を律することを身につけていきたいです。もっとも、これは、中学生だけでなく、私たち大人も同じですね。(おしまい)
 
 

●【その4】「ルール」は何のためにあるの?22年9月22日19時19分更新)

 すぐに緊急事態につながるわけでもないのに、なぜ、「学校にルールがあるのか」考えたことはありますか。
 私には、そんなことを考える機会が何度かありました。とくに、「教員」という仕事に就いてからは。もっとも、この仕事に就かなければ考えることもないかもしれませんが。「なぜ、いけないのか」と聞かれたときにどのように答えるのが一番わかりやすく、納得してもらえるのか、理解してもらえるのか。
 自分が、中学生の時、厳しいルール(校則)がたくさんありました。でも、「なぜ、いけないのか」「なぜ、そのルールが必要なのか」理由を教えてもらった記憶はありません。
 今、私の中で、しっくりときている「理由」、それは『自分を律することができるようになるため』だということ。もちろん、答えはほかにもあるでしょうし、反論もあると思います。【その1】に書いたように学校の見解ではなく、あくまでも個人の考えですので、聞き流してもらって問題ありません。
 『自分を律する』とは、『欲望や衝動を自らの意志で抑えること』、つまり、「自分の欲やだらしなさに負けない強い自分を、自分の力でつくりあげる」ことだと思います。
 バレなければいい、注意されなければいい、自分さえ良ければいい、周りがやっているのになぜ自分だけ、などなど、そんな言葉をよく耳にします。中学校という閉鎖された環境ではそれで通用することもたくさんあります。けれど、社会に一歩でていくと、同じことでも通用しないことはたくさんあります。時には「犯罪」として大きなペナルティを負うこともあります。
 中学校では「ごめんなさい」で済んだことが、社会に一歩出ると、それでは済まないことがほとんどと言ってもいいくらいになるでしょう。
 自分の判断(行動)には、必ず何かしらの(結果)が伴います。世の中では、私たちはその「結果」に対して責任を負わなければならないのです。
 
 ある行事を例に話をしましょう。
 自然教室や修学旅行などを想像してください。宿泊を伴う行事などはとくに、多様な約束ごとのもとで行います。たったの2、3日とはいえ校外で集団生活を行うわけですから、だれもが心地よくすごすためには当然のことです。
 例えば、自然教室のときにルールを守れなかった人がいるとします。その守られなかったルールの内容は、どのようなものを仮定しても良いのですが、中学校に限っていえば、守られなかったルールに「軽い」も「重い」もないと思っています。「これはダメだけれど、ここまではセーフ」…そんなことはありません。然るべき手続きでルールを決めた以上、それはどのようなものも守られるべきものだと考えています。「そんなことぐらい、大目に見てあげれば」とか、「先生が厳しすぎる」という意見を第3者が言うのを耳にすることがありますが、当事者になってみれば、考え方や事情が変わることはよくあります。
 さて、例えば、「ルールを守れなかった人がいたことで、レクリエーションの時間や、自然教室での楽しみの一つであるアストロハウスでの星座観察を中止して臨時の集会を行う」ことになったと仮定します。もし、ルールを守らずにそのきっかけとなった一人が「あなた」だとすると、「あなた」は責任をとることができるのでしょうか。責任というのは楽しみにしていたレクや星座観察をあきらめざるを得なくなった人に対する「責任」です。ちなみに、集団生活においては「一つの課題をみんなで共有することが原則」なので、「ルールを守っていた人がいるのだから、一部の人のために中止までする必要はない」という意見は保留しておきます。
 当事者となったある人は、責任のとり方として「集会でみんなの前で謝る」というかもしれないし、あるいは「悪いのは自分だから、みんなは予定通りのプランで過ごしてほしい」というかもしれません。
 しかし、想像してみると、楽しみにしていた予定の変更を突然に突きつけられてしまった立場にあれば、「ごめんなさい」という謝りの言葉はほとんど意味のない無味乾燥なものにほかなりません。つまり、結局のところ責任の取りようなどないのです。人は自分の行動に後悔し、反省することができます。テスト結果の反省ならば、それでよいかもしれません。けれど、自分の向こう側に相手があるとき、その行動や結果は何か想像以上の大きな衝撃と、破壊力をもつものになりうることを忘れてはならないと思います。
 何か、注意されたり指導されるとみなさんは、多くの場合「すみません」と素直に謝ります。
 しかし、そうなる前に「自分を律してほしい」と強く思います。中学生の皆さんには「自分の行動や言動に責任をもってほしい」という願うと同時に、「後悔する前に、自分を律すること」を、心に留置いてほしいと思います。
 長くなりました。次回でおしまいです。
 「ルールが守られないことがあったら、その行事は失敗なのか」という方向で話しましょう。(続く)
 

●【行事】スケアードストレート22年9月19日10時17分更新)

 14日(水曜日)にスケアードストレート方式の交通安全教室を実施しました。スタントマンの方が、実際に起こりうるシチュエーションで交通事故を再現。「交通事故」を目の当たりにして、真剣な面持ちで見入る生徒の皆さんの様子が印象的でした。3年生は、校外学習。1、2年生のみの体験でしたが、貴重な時間となりました。宮前警察署からは白バイなども。また、県警本部からも警察官の方が来校され、暴走族の怖さを伝えてくれました。
 
 

●【その3】「ルール」は何のためにあるの?22年9月12日17時53分更新)

 校則のあり方は、どんどん変わっています。
 有馬中学校でも、教科書などの持ち帰りや、置いておくことも自分で判断できるようになりました。靴の色も自由になりました。くるぶしソックスも。それは、生徒自身が「自分で考えて適切に判断をすること」を生徒指導の根幹に置いているからです。
 これらのルールのあり方については生徒会から議題に上げられて、生徒評議会などで話し合って決まりました。話し合いの中では、多様な意見がでました。たとえば、ソックスを自由化することひとつをとっても、さまざまです。おもしろいのは、「それはいい!賛成」という意見ばかりではないところです。
 『もともと守っていない人もたくさんいるのに、ルールを変えるべきではない。一人一人が守れるようになってから話し合うべきだ』というような意見も少なからずあったのです。最後に、結論を出して生徒総会へかけるというときに、一番のポイントとして挙げられたのは、「自由になるということは、好き勝手にして良いということではない。場に応じた格好をそれぞれが自分で考えてすべきだ」ということでした。たとえば、くるぶしソックスは、いわゆるフォーマルなものではありませんから、式典のときには控える。そんなことを自分たちで考えられるようになることが大きな目標になったのです。生徒が自ら掲げた目標です。
 さまざまなところで頑張っている生徒がいます。その反面で、このようなルールの変更やルールそのものを「自身の都合の良いように解釈して」守っていない生徒もいるということ。
 ご家庭の皆さんの意見もじつにさまざまで、賛同される意見のほかには、「生徒に任せたって、守れるわけないのだから、教員がしっかり指導監督をするべきだ」という意見や、「今の有中は、(自分が通っていた時より)ゆるすぎる」という声もずいぶんと聞かれました。
 もちろん教職員も、子どもたちの「自主性に任せる」という大義名分のもとで手を抜くのではなく、その生徒評議会で議論されたことを意識して「その場に応じた適切な判断をできる」能力が育めるような指導を続けているところです。なかなかうまくいかないことの方が多いのですが。
 
 さて、社会には、「自分たちの命や権利」を守るために不可欠なルール=法律がたくさんあります。それに対して、学校生活の中にあるルールは、守られないことがすぐに「命」に関わるようなことにはならないものがほとんどでしょう。たとえば、眉毛を剃ってみたり、スカートを折ってみたり、色付きのリップをぬってみても、それに、ガムやお菓子などの違反物を持ってきたからといって「緊急事態」が発生することはないと思います。もちろん、学校の雰囲気は荒れてしまうかもしれませんが。
 では、なぜそんなルールがあるのか。
 本題です。
 皆さんはその「ルールがある理由」を考えたことがあるのでしょうか。ちなみに自分が中学生のときには、考えたことは微塵もありません。少し、一緒に考えてみましょう。(続く)
 

●【その2】「ルール」は何のためにあるの?22年9月9日15時16分更新)

 ルールの話。最近様々なところで耳にする「校則」。
 とくに、「ブラック校則」などという言葉も耳にします。「校則」というと、あまり良くないイメージがもたれている場合もありますが、校則も「ルール」の一つですから、『「ルール」は何のためにあるの?』という問いは『「校則」は何のためにあるの?』と置き換えて考えることもできます。
 もっとも、最近メディアで耳にするような、「ブラック校則」は話になりません。例えば、生徒の健康や命に関わるようなもの、生徒個人のプライバシーに踏み込むようなものは、これから近い将来淘汰されることを願います。
 さて、いわゆる、「ブラック」と言われるような校則は別にして、「校則」自体は必要だと思います。校則が、最近のメディアに取り上げられるようになり、「校則は必要ない」というような声も耳にすることがありますが、これは、少し極論であるように感じます。
「校則」という呼び方が多くの人にアレルギー反応を起こすのならば、別にそれは「ルール」とか「約束ごと」と置き換えればいいわけです。有馬中学校では、「みんなで守ろう、私たちの約束」として明文化されています。
 「社会」にもルールがあります。社会のルールは、「法律」です。これは、法治国家である私達の国では不可欠です。様々な価値観や考え方を持つ人たちが共生しているわけですから、様々な物事に対する「一定の基準」が必要になるわけです。法律におけるその基準は、一つは「その時代の風潮や考え方」に対して比較的寛容で、時代の方向性によって見直しを必要とするもの、そしてもう一つは、「不変的な道徳観、倫理観」にもとづくものです。
 学校で言えば、昭和の時代に根性論的な風潮が良しとされていた時代に「○周走り終わるまで給水禁止」とか、「トイレに行ってはいけない」とか、そんなルールが、今は、熱中症の危険が認識されるようになり、給水はとがめられるどころか、推奨されるようになりましたし、トイレは、生理現象ですから、例えば授業中であってもそれはとがめられるものではなくなったわけです。これが、前者。後者の例はもっとわかりやすく、「人を傷つけてはならない」とか、「暴力禁止」とか。これは、不変的なものです。そうでなければなりません。
 社会には様々な人がいるように、学校にも様々な人がいます。価値観も、物事を良し悪しとする判断の基準もじつにさまざまです。だから、一定の基準が必要なのではないでしょうか。「誰もが、心地よくあるため」にルールがあるのは、社会でも、学校でも同じことでしょう。(続く)
 

●【その1】「ルール」は何のためにあるの?22年9月8日12時13分更新)

 定期テスト2日目。夏休みの雰囲気もすっかり抜けて、教室では集中した様子が見られます。
 さて、このところ、「学校の校則の見直し」についての話題がよく取り上げられています。本校は、ここ数年で様々な校則の見直しが行われてきました。その前提には、「自ら考えて行動してほしい」との想いがあるわけです。
 今回、「ルール」のあり方について話題にしてみたいと思います。保護者の皆さまとそんな話題になることもありますので、きっと、多くのご家庭の皆さまが考えていることもあるのだと思います。
 長くなると思うので数回に分けて。また、これは学校としての見解ではなく、一個人の考え方ですが、共有できればと思います。
 

【ちょこっと、食育。(9)】22年9月2日11時45分更新)

 今日の給食のメニューに「キャベツの味噌汁」。
 味噌汁といえば、日本の家庭料理の代名詞。海外旅行に持っていけるフリーズドライの味噌汁に、お弁当に合わせられる、カップの味噌汁。さまざまな需要に応える商品も目にします。
 このありふれたひと椀も、味噌の種類や具材まで好みも千差万別。ここで語るに少し奥が深すぎます。
 その起源は700年以上も遡り鎌倉時代にあるそうです。それまではいわゆるおかずとしての「なめ味噌」が主流だったようですが、僧侶が味噌をすって調味料にすることが発明されてから「水に溶かして」汁物とするようになりました。
 味噌の種類も豊富です。とくに「赤味噌」「白味噌」の分類はよく聞きます。我が家は「白味噌」がメインですが、アサリやしじみの味噌汁のときは「赤味噌」をベースに少しだけ白味噌を加えます。短期熟成で作られる白味噌は塩分が少なく甘口、長期熟成で作られる赤味噌は、長期間の熟成によりコクがありますが、塩分は高めで、塩辛いのが特徴です。地域によっても消費される味噌は違うようですが、ほかの食材調味料とは異なり、産地というよりは「家庭の好み」が強く反映されるのが特徴だとか。
 今日の具材は「キャベツ」です。味噌汁の具にすると甘さが増してやさしい味に変化します。ちなみに、切り方や合わせる具材によっても味は変わるようで、もやしと合わせるときは千切りに、きのこと合わせるときはざく切りにするなど、食感を意識して調理するのもおすすめです。(伊澤)
 

●セミの鳴き声で季節を知る。22年8月31日12時28分更新)

 久しぶりの更新です。夏休みが終わりました。
 昨日まで、肌寒いとさえ感じる瞬間があったのに、今日は数日ぶりに30度を超えるとか。体調を崩してしまいそうです。さて、タイトルにあるように「セミの鳴き声で季節がわかる」って知っていますか?
 「セミは、夏でしょ。」ということではなく、夏でも「初夏」から「晩夏」まで聞こえてくる種類によってその季節の移り変わりを知ることができるのです。忙しくて、蝉の声なんて聞いていられない…とか、セミなんてうっとうしいだけ…などと言わずに少しセミの声に耳を傾けてみてください。
 
 梅雨があけるころ、いよいよ夏の到来を感じ始めるころに、まず聞こえてくるのは「チーー」といういう鳴き声のニイニイゼミです。とても小さくまだら模様なので、目を凝らさないと見つからないかもしれません。声は聞いてもその実態を見たことのある人は意外に少ないかもしれません。ただ、毎年、「あ、セミが鳴いてる。」と夏の到来を実感するきっかけとなるのはこのセミです。3年生が県総体の地区予選を意識し始める頃に聞く声です。
 そして夏休みに入り、7月末ごろには、「ミーンミンミン♪」と皆さんがよく知っているミンミンゼミ。ちなみに関東の人に「セミの鳴き声を真似してください」と言ったら、8割の人がミンミンゼミの鳴き声を真似るらしいです。
 8月になると「ジジジジ」という声がミンミンゼミに混じります。これは、アブラゼミ。羽の色は茶色で、よく、人めがけて飛んできて驚かす、あのセミです。
 そして、8月後半から9月にかけては、「ツクツクボーシ」という鳴き声のツクツクボウシにとって変わるようになります。9月中旬あたりになると、もう、ツクツクボウシの鳴き声しか聞こえてきません。そうすると、「もう、夏も終わりだなぁ」と嫌でも実感するわけです。
 私が好きなのは、ヒグラシです。「カナカナカナ…」。山間に響くヒグラシの声はとても情緒があると思っています。昔の人々も同じで、このヒグラシの鳴き声は「情緒あるもの」として人の心情などに置き換えながら歌に詠んでいました。
 さて、関東でセミといえば「ミンミンゼミ」と上に書きましたが、関西の人に「セミの鳴き声を真似してください」と言ったら、8割の人が「シャアシャアシャア」と言うそうです。その正体は、クマゼミ。巨大なセミです。関西を含め西日本の人はクマゼミの声で、このクマゼミは、終戦の日あたりに記念式典を中継するニュースの背景でかなりの存在感を示しています。今度意識して見てください。このセミ、じつは、川崎でも鳴いています。今までは、静岡県を北限としていましたが、ここ数年で関東までその生息地を広げているようです。温暖化。とてもスケールの大きな話になりますが、温暖化の影はその分布状況にも深刻な影響を及ぼしているようです。
 
 今年も、ツクツクボウシの声が増えてきました。
 まだまだ、暑いけれど、確実に次の季節はそこまで来ているようです。
 

●【その5】「列車の窓を開けて」22年7月22日11時16分更新)

 「時刻表で旅をする」。最終話です。「もし、あなたが、無人島に一冊の本をもっていくとしたら?」…迷わず、こう答えます。『JR 時刻表(交通新聞社)』
 実際に時間が取れなくなってからも、旅に対する思いがなくなったわけではありません。受験勉強の息抜きでもあったその楽しみ方は「時刻表上で模擬旅行を行う」こと。現在の時間を見て、「自分が行きたい場所」の路線を開き、リアルタイムに走る列車を見つけ、あとは、時刻表上をリアルタイムに眺め、「今、○○駅に着いたな」という具合に。
 これは、あまり受け入れられない気もしますが、けれど、そうしている時間ばかりは、とても心穏やかでいられたわけです。今の中学生が、息抜きに動画を見るのと同じ感覚です。きっと。
 では、実践しましょう。「山陰」を旅行したい気分だとします。現在の時刻は 10時32分…時刻表の「山陰本線(下り)」のページを開いてみると…気分は盛り上がりますよ…「出発地」は、まあ、どこでもいいのですが、今回は「米子(よなご)」。米子駅をこの時間に発車する列車は…(探す)…ありました!「10時47分発、特別急行スーパーおき3号」です。この列車は、新山口(14時57分着)行です。
 「途中は、安来(10時54分)→松江(11時8分)→玉造温泉(11時15分)→出雲市(11時32分)…」というように日本海沿いを走り、新山口まで行く列車。
 「乗る列車」を決めたら、机の前にコーヒーとお菓子を用意しましょう。そして、「鉄道員」だった祖父から譲り受けた国鉄の懐中時計のネジを巻き、机に置くのです。
 さあ、いよいよ発車時刻が迫っています。ちなみにこの列車は鳥取が始発駅なので入線は10時45分、発車の2分前です。もうここからは、「想像力」です。ホームに鳴り響くベルの音や、走行する列車のレールの響き、そして風景。
 そして、停車駅が近づくと、頭の中に流れるアナウンス。ほどよく切り上げますが、長いときは、2時間くらいはこうしてボーっとしていました。もう、こうして文章にしてみると何とも、不気味ですね。

 しかし、それが気分を切り替え、さまざまな困難をも乗り切れたということも、またまぎれのない事実なのだと思っています。
「もうすぐ、益田か、今日はここで下車しよう。」と、切り上げるのも、今日はもう少し、と乗継列車を探すのも自由。
 決してだれかに迷惑をかけることもありません。
 自分の「好き」は必ずしも万人に受け入れられるわけではない、けれど、それは自分のためであるわけで、「受け入れてもらう」必要もないのでしょう。
 私は、「旅」から多くを学びました。それは紛れもなく自分の今を形作る一部になっています。
 だから、私は、人の「好きなこと」を馬鹿にしたりせずに、まっすぐ向き合うことを大切にしています。(終わり)
 

【ちょこっと、食育。(8)】22年7月14日14時19分更新)

 正直、給食が川崎市の中学校に導入されると聞いた時、たくさんの不安が胸をよぎりました。
 「準備の時間はどれぐらい?」「片付けの時間が延びて放課後の時間は確保できるの?」etc...
 しかし始まってみると生徒たちは小学校で給食を経験していたのでスムーズに進み、私の心配は杞憂に終わりました。
 自分の子どもが小学生になり、たまに弁当の日があると「あ~給食って働く保護者にはありがたいなぁ」とつくづく思います。給食導入時に文句を言っていた自分を殴りたいです。(ちなみに弁当づくりも大変ですが楽しくやっています。キャラ弁得意なイケメ…いや、イクメンです、私。)
 受け持つクラスの朝学活では、給食委員さんに「給食配り方表」の記事を読んでもらっています。その日のメニューの栄養価や食材の原産地などの豆知識を知ることができ、とても有意義です。7月8日は「夏野菜のカレー」。「夏野菜」という言葉に胸がトキメキます。旬です!ズッキーニです!健康になるメニューです!
 ここで一首 
 「この味がいいねと君が言ったから7月8日はズッキーニ記念日」(まるやま)
 

●【その4】「列車の窓を開けて」22年7月13日19時5分更新)

 さて、旅の話をもう少し、しましょう。
 タイトルにある、「窓を開けることのできる」列車がずいぶん減りました。ボックス席に座って窓を全開にし、正面から入ってくる風を顔に受けながら、レールの響きを聴く。そんな、「ローカル線」の旅ができなくなりました。今は、「窓の開かない」車両も増えたし、だいたい「冷房が効いている」のに窓など開けたら、それこそひんしゅくです。山梨県と長野県を結ぶ「小海線」で窓を全開にしている時に、車内に飛び込んできた「オニヤンマ」を車掌と乗客で協力して外に逃がしたのが、遠い昔の思い出です。
 さて、走る路線で「音が違う」のって知っていますか。小さなころに、電車が走る音をよく「ガタンゴトン」と表現をしました。しかし、最近はこの「ガタンゴトン」は都心部ではほとんど聞かれません。この音は、車輪がレールのつなぎ目を通る時の「ジョイント音」なのですが、都心部の幹線はあまりつなぎ目のない、ロングレールが使用されているためです。まだまだ、整備されていない、地方路線に行かなければ聞かれません。この音を無性に聞きたくなるのだから、これもひとつの病気かもしれません。
 そんな旅のもう一つの楽しみは「出会い」です。この一期一会の「出会い」の魅力については、多くの人が共感してくれるはずだと信じています。
地方には、始発駅から終着駅まで 5、6 時間を走り通す列車があります。そんな列車に乗っていると本当にたくさんの出会いに恵まれます。あるときに乗った「只見線」。ほぼ山間部を走る「ローカル線」ですが、乗り通すと4時間かかります。そんな列車に乗っていると、空いたボックス席に座る客(多くは高齢者。これも過疎化の影響でしょうか。)は、笑顔で話しかけてくれます。そして、例外なく何かをくれます。みかん、ゼリー、お饅頭など。
 商業のおばあさんも乗ってきます。昔、山陰線で新聞紙につつまれた「松葉ガニ」をもらったこともあります。そして、しばらくすると降りていく。おばあさんは、出会ったばかりの私を見送るようにホームで列車のドアが閉まるまで待ってくれています。
 こんな出会いがあるから旅をやめられないのです。
 疲労に満ちた・・・けれども心地よい気だるさの中で、旅を終える…のならば、いいけれど、「もうしばらく、いいや」と思うくらいの強行軍が多かった自分ですが、でも、また、ふらっと出かけたくなる。
 多くの人にとって「理解しがたい」ことも、ある人にとっては大切な時間だったり、行動だったり。
 次回、最終回。時刻表の楽しみ方とは?最後までお付き合いください。(次回「その5」へつづく)
 

【ちょこっと、食育。(7)】22年7月12日13時21分更新)

 7月12日(火曜日)の献立に「とんかつ」がありました。とんかつは豚のロース肉を使用しています。ロースという言葉は、皆さんも聞き慣れているのではないでしょうか?焼肉やとんかつでお馴染みの「ロース」ですが、豚肉のうちどれくらいの割合を占めているか知っていますか?
 …実は豚一頭の精肉量(実際に食べている肉の量)約50kgのうち、ロースは約6から7kg。たったの12から14%しかないのです。
 ちなみに豚一頭の体重は約110kg。ロースは結構貴重なことがわかりますね!そう考えると普段あたり前に食べていた「とんかつ」も少し見え方が変わってくるのでは!?(和氣)
 

●【その3】「列車の窓を開けて」22年7月10日14時01分更新)

 夜行列車は、「人生そのもの」だということや、旅が、「自身を成長させてくれる特別なもの」だと気づくのは、そのあとずいぶん時間が経ってからでした。まさに、「失くして、その大切さに気付く」というか、多忙になっただけではなく、そんな時間の使い方に少し臆病になった自分がいるのです。
 さて、旅を始めることになったのは、「祖父」の影響が強かったと思います。私の祖父は、いってみれば絵に描いたような「鉄道員」でした。こんなタイトルの映画がありましたが、自分にとってはまさに、そんな存在でした。旧国鉄で、若いころから機関士(運転士)一筋で、蒸気機関車がなくなってからは、電気機関車、気動車とさまざまな列車を走らせていました。それこそ、ローカル線から、本線を走る寝台特急まで、幅広く乗務していました。とても頑固でなかなか気難しい祖父でしたが、こんなことがありました。
 祖父が仕事の話をしている時に、私が何気なく発した言葉、「特急」。「特急」とはご存知の通り、列車の種別です。「普通」に「快速」「急行」、そして「特急」。私が、「特急」と言ったことをきっかけに、祖父は怒りだしたのです。これを読んでいるみなさん、まったく意味がわかりませんよね。 
 私も、「なぜ、祖父はイライラしているのか」見当もつきませんでした。国鉄では、「特急」や「急行」というのは「優等列車」であり、乗るためには運賃の他に特別料金を払わなければなりませんでした。今も同じだと思いますが、急行券や特急券を買わなければ乗ることができない列車だったのです。祖父の理屈はこうでした。『優等列車は、「特別」じゃ。その中で、急行よりも、さらに早く走るのが"特急"なんよ。じゃけぇ、わしらは誇りをもって「特別急行」というんじゃ。』・・・と。要するに「軽々しく“特急”というな」と。その時は、「う~ん・・・」という思いでした。しかし、その後しばらくして列車に乗って気づきました。確かに、若い駅員や車掌さんが「"特急"」と放送するのに対して、「ベテラン」の駅員、車掌さんは「"特別急行"」と放送しています。
 乗客にとっては、正直に言えば「どちらでもいい」ことだし、言われなければ気づきもしないことかもしれません。けれど、私は思ったのです。その「こだわり」、その一見、一部の人にしか価値を見いだせないような「こだわり」こそが、我々に身近なさまざまなものに「付加価値」を与えてきたのだと。結局その付加価値は、私たち受け手側の「満足度」につながったりするのです。
 時代とともに「こだわり」は形を変え、中には消えるものもあります。祖父のこだわりは「仕事に向き合うための誇りとしてのこだわり」であり、他者に向けてのものではないかもしれません。むしろ今の時代、「こだわり」は受け手の求めていることに合わせて変化するし、迎合する風潮すら感じられます。
 私の好きなある作家は、著書で
『上野駅のようなターミナル駅には、「終着」という言葉がふさわしい。やがて、国鉄時代のそれは「終点」という言葉に代わったが、長距離夜行列車の老年の車掌が“終着”というのを聞いてなんとも言えない気持ちになった。ことばの言い回し一つが旅を単なる「旅」ではなく、「旅以上」の価値に色付けする』と記しています。
 今の時代だからこそ、「受け手」を意識せずに「作り手」のこだわりを貫き大切にする「職人」が、注目されるのかもしれません。
 2 年生は、職場体験こそできませんが、今週、職業講話を実施します。そんなこだわりに気付くことができると素敵ですね。(次回「その 4」へつづく)
 

【ちょこっと、食育。(6)】22年7月8日19時00分更新)

 母は何でも手作りをする人でした。ハンバーグをリクエストすると挽肉の買い置きが無くてもミンサーで肉を挽き、作ってくれました。ラーメンもかんすいこそ入れませんが麺棒で麺を伸ばし、鶏ガラでスープを作って出してくれました。チリコンカン作りに凝られたときはちょっと辛かったです。
 始末屋ではありましたが、作ることが好きな人でもありました。そんな母によるおふくろの味はがんもどきです。地域によっては「飛龍頭」「ひろす」とも呼ばれる、お豆腐が主材料のあれです。お豆腐の水切りから始まり、山芋を大きなすり鉢ですり、切り昆布、銀杏、ごま、人参、牛蒡、塩、ごま油を混ぜ込み、成型して油で揚げるのです。我が家では揚げたてのアツアツをからし醤油をつけて食べるのです。
 冷めてしまうとプレミア感がなくなり翌日のおでんの具の一部に降格してしまいます。家族に揚げたてを食べさせるために、母は自分を後回し。それでも何だか嬉しそうでした。
 過去の自分よ!それに対してありがとうって言ったかな?言っていたら母はもっと笑顔だったろうし、がんもどきももっともっとおいしかったのでは?(藤原)
 

●【その2】「列車の窓を開けて」22年7月5日8時10分更新)

 東京駅、23時過ぎ。7番ホームは、通勤列車の合間をぬい、一気に客層が変わり「旅情」が漂うと同時に、殺伐とした独特の雰囲気に包まれます。 
 もう、20年以上前ですが、今はなき、東海道線「普通列車、大垣行」の入線を前に、多くの利用客が「これから一晩、座席で寝られるか」、「デッキで立って過ごすか」、それとも、「床に寝るか…」にかかわる、座席とり戦争が火ぶたをきろうとしているからです。4人掛けのボックスシートが並ぶ車内には、各車両にある2つのドアの「どこから乗るか」で、その結果は大きく変わったりするので、駆け引きや作戦が必要だったりします。たとえば、並ぶ場所の「ほかの客の雰囲気」も大切です。ライバルの観察をします。「スーツを着ていてビジネスカバンをもっている客」は横浜や、平塚、藤沢で降りるだろうから車両の構造的に降車しにくくなる座席には座らず、デッキに立つだろうと仮定し、「大きなデイバックを持ち、時刻表を手にした若者」は、同じ青春18きっぷの利用者であることはほぼ確定し、この大垣行の座席どころか、その先の米原、京都、大阪方面の乗継列車の座席すら争うライバルとなります。
 当時は、なんとも思っていませんでしたが、こうして文章にしてみると狂気に満ちた世界であるように感じる人もいるかもしれませんが、そんな駆け引きすら楽しい時間だった気がします。きっと、この文章を読んでいる方の中にも、この想いを共有できる人がいるはずです。
 23時40分に、通路やデッキまで満員の乗客を乗せて静かに東京駅のホームを滑り出す「大垣行、375M列車」は、まさに人々の人生を乗せているといっても過言ではありません。ある時は、関西の大学の受験をするために一晩中参考書とにらめっこしている学生さんと同席になりました。その後も乗継ぎ、新快速で姫路まで一緒でした。
 また、ある時には、日本全国を鉄道で旅をしてきて北海道の最北の地、稚内から「夜行列車連泊4日目」という人と同席したこともあります。思いもしない出会いが、その列車にはありました。そこには、厳しい「座席とり戦争」から始まった一種の連帯感のようなものさえ感じられます。もしくは、新幹線や飛行機を選ばず、あえてこの列車で旅をする「同志」のような思い。ある時には、この列車で同年代の旅行者と意気投合し、その後の行程を変更し2日間をともに旅をして過ごしたこともあります。(次回「その3」へつづく)
 

【ちょこっと、食育。(5)】22年7月1日14時30分更新)

 6月30日(木曜日)の給食のメニューにあったフィッシュサンドには「ホキ」というお魚のフライが入っていました。
 聞きなれない魚ですが、のり弁やハンバーガーの白身魚フライ、ちくわ等、様々な食材として使用される身近なお魚なのです!ホキは深海魚の一種でオーストラリアやニュージーランド、アルゼンチンや南アフリカなどの深海に生息しています。目が大きく細長い体型で、成魚になると全長は1メートル、重さは8kgほどに成長するのが特徴です。
 ホキという名前は生息域であるニュージーランドやオーストラリアでの呼び名です。ホキにはエネルギーとなるタンパク質やビタミンB12・D が多く含まれています。ビタミンB12 は貧血に効果があり、ビタミンDはカルシウムの吸収を促進し、丈夫な骨を作る作用があります。成長期の中学生の給食にはピッタリの食材ですね!(小清水)
 

●【その1】「列車の窓を開けて」22年6月29日19時53分更新)

 さて、3年生は修学旅行に行くことができましたが、まだまだ、「旅行」というのは難しそうですね。
 こんな時期だから、少し「旅」の話題を。
 以前、学年だよりに載せたことがあるので、目にした人もいるかもしれません。
 私は、「日本全国鉄道乗りつぶし」に挑戦していたことがあります。8割は乗りつぶしましたが北海道の廃線間際の路線を中心に乗っていたら、その先にあまり進めないまま就職しました。就職してからは時間もなく、まったく、出かけてはいません。
 上京後も、出身地の岡山へ帰郷する際にはいつも普通列車を利用していました。理由は「安い」から。「青春18きっぷ」という学校などの長期休業時期にあわせて発売される切符は 5日間日本全国のJR 線が乗り放題で1万と少しです。つまり、岡山までは2千数百円で帰れることになります。岡山まで、新幹線で1万7千円、飛行機でやはり2万円程度なので、かなりお得だといえます。もっとも、新幹線で3時間と少し、飛行機では1時間で到着することを考えれば、普通列車の12時間という時間はまさに「時間でお金を抑える」というような具合。私の乗る列車と同じ時間に東京駅を出発した新幹線が「名古屋」を過ぎようとしているころに、私の乗る列車がまだ「熱海」あたりをふらふら走っているといえば、その恐ろしいほどの鈍足振りがわかるはずです。
 旅のスタートはいつも「夜行列車」。といっても寝台列車ではありません。昔ながらの「夜行列車」です。夜行列車で旅をすることがとても好きでした。岡山への旅も東京駅を24時前に発車する「通称、大垣夜行375M」を利用しました。これは、東海道線の平塚行や小田原行の合間を縫って発車する普通列車で、夜通し走り続けて、名古屋の先、岐阜県の「大垣」まで行く列車です。「横浜から茅ヶ崎の家に帰る時に乗り過ごし、目が覚めた時には豊橋駅というところにいた…」というような笑い話にもならないぐらい壮大な乗り過ごしの実話が、数えきれないほどある列車です。
 中学生のみなさんは、「夜行列車」という存在すら知らないのかもしれませんね。 今は、時代の流れのなかで、「絶滅」寸前の状態です。今回は、そんな旅の経験を書いてみたいと思います。 忙しい時代だからこそ、「せまい日本、そんなに急いでどこにいく!」という交通安全標語的な、時間の流れに逆らうような経験も貴重なのではないでしょうか。
 長くなります。興味のある方だけで結構ですので、広い心でお付き合いください。
 今の中学生にはまったく新鮮な話題でしょう。しかし、保護者の皆様の世代には「大垣夜行!なつかしいなぁ」という方も多いのかと。食卓の話題にしていただければ。(次回「その2」へつづく)
 

【ちょこっと、食育。(4)】22年6月29日19時6分更新)

 6月29日(水曜日)は、じゃがいものお味噌汁がメニューにあります。ひとことで「じゃがいも」といっても、たくさん種類があります。
 北海道のひとつの町だけでも約50種類ものじゃがいもを作っているんだそうです。「シェリー」「ピルカ」「ジョアンナ」などというかわいらしい名前の種類もあります。
 その中でも「メークイン」は思い出に残るおいもです。私の母は北海道生まれで、小さい頃はよく北海道に遊びに行きました。その時、おばあちゃんがおやつによく出してくれたのが、「メークイン」のふかしいもです。湯気の立つおなべの中にいっぱいの丸のままの「メークイン」をお皿にとり、うすい皮をツルリとむいて、バターをたっぷりつけていただきます。
 おばあちゃんの畑の「メークイン」は絶品でした。大地のエネルギーをギュッと凝縮して生まれたじゃがいもは、パワーフードといわれます。
 おいしくいただきましょう。(小松)
 

【ちょこっと、食育。(3)】22年6月27日10時55分更新)

 今日の給食の献立は、「にんじんしりしり」です。
 沖縄県出身の私は、懐かしく感じる料理でもあります。ところで、「しりしり」はどういう意味か知っていますか?ヒントは、「にんじんをしりしりする」…つまり、すりおろすということです(大根おろしほど小さくはせず、千切りくらいの大きさが「しりしり」です)。沖縄の家庭には必ず、しりしり専用のスライサーがあります。
 有馬中の給食で食べる、にんじんしりしりは、にんじんをツナで炒めているものですが、沖縄では、さらに卵でとじていました。これもまた、絶品です。ちなみに、「しりしり」ではなく、「しりしり~」と語尾を伸ばして言います。「にんじんしりしり~でーじ(とても)おいしいね~」(玉城)
 

【ちょこっと、食育。(2)】22年6月22日12時43分更新)

 「ちょこっと、食育。」、今日の給食から「ソース」について。今日の給食は、メンチかつと「中濃ソース」。ソースは日本人の食卓にも馴染みの深い調味料ですね。主に3種類に分類されます。さらさらとした「ウスターソース」、お好み焼きやとんかつソース、たこやきソースが分類される「濃厚ソース」そして、その中間にあるのが、「中濃ソース」。全部、揃えてある!というご家庭はどれくらいあるのでしょう。ちなみに我が家には、ウスターソース、そしてのお好み焼きソースの2種類を常備。スパイスの辛味が強めでサラサラなウスターソースは、シュウマイなどにも使えます。コロッケなどには、甘みが強い濃厚ソースを使うことが多いです。ちなみに、中濃ソースは北海道、東北、関東あたりで、北陸、中部、近畿、四国や九州はウスターソースか、ウスターソースと濃厚ソースとの併用が多く、中国地方では濃厚ソースや酸味を抑えたお好みソースが好まれているらしいです。西日本は、ソース料理が大好きで、使用量ダントツの1位は広島県だとか(統計局資料より)。まあ、分かる気がします。そういえば、広島の友人が「広島人の血の半分はソースでできとるけんのう」といっていました(筆者岡山県出身)。日本にソースがやってきたのは明治維新のころ。それから、日本でこよなく愛される万能調味料、ソース。今後も私達の食生活を豊かにしてくれるでしょう。ちなみにみなさんは「目玉焼き」に何をかけますか?ウスターソース?中濃ソース?私は、醤油派です…(伊澤)
 

【ちょこっと、食育。(1)】22年6月20日18時14分更新)

 本校は、「かわさきSDGsパートナー」です。くわしくは、こちら。今年度は、とくに総合的な学習の時間で、SDGsの視点を取り入れた学習に取り組んでいます。「ちょこっと、食育。」と題して、食に関する話題を提供します。
 (以下本文)給食が有馬中に導入されて6年目。給食や食について、色々なことを共有し、少しでも「食」って楽しいと思えるようになれたらなぁと思っています。
 本日6月20日(月曜日)の給食のメニューに「ガパオライス」がありました。ガパオライスはタイ料理。「ガパオ」って葉の名前だと知っていましたか?日本名カミメボウキ(神目箒)、英語名ホーリーバジル(holy basil)、シソ科の植物でアジア、オーストラリアの熱帯原産です。
 wikipediaによると…豚肉またはとり肉などと、ホーリーバジルをナンプラーとオイスターソースとともに強火で素早く炒めたものを「パットガパオ(ガパオ炒め)」、「パットガパオ」をご飯にのせたものが「ガパオライス」です。
 ちなみに、「ガパオ」は種を買って育てられるそうです。家庭菜園で栽培してみようかな。(宮木)
 

●【行事】修学旅行。22年6月12日16時01分更新)

 3年生は昨日から修学旅行へ京都に。送られてくる写真には満面の笑み。いろいろな体験が、ひと回りもふた回りも成長させてくれることでしょう。あと、1日。残りの時間も楽しんでほしいです。修学旅行の様子は【こちら*リンクを削除しましたで紹介中。
 

●久しぶりの更新。22年5月31日20時51分更新)

 体育祭も終わり、テストが間近です。学校の中も落ち着いています。
 久しぶりの更新。タイミングはさまざまですが、必ず更新しますので、広い心でおまちください。このホームページも連絡手段としては定着してきました。学校で保護者の方にお会いすると、みてますよー、と声をかけていただくことも。また、ここのつぶやきに書いたことを話題に上げていただくこともあります。ありがたいことです。新型コロナウイルス感染症の拡大は、私達に本当に大きな影響を与えてきました。ご家庭の皆様方が学校で子どもの様子を見る機会もうんと減りましたから、様子をお知らせするひとつの手段としてはホームページもありなのでしょう。けれど、やはり、直接見ていただくことや、お話する方が良いのだということも再認識するような今日このごろです。
 さて、今週木曜日からテストです。「テストは、通過点」…これは、基本中の基本であり、いつも授業などで話をしていることです。大切なことは、その点数ではなく、「その結果をどのように振り返り、生かすのか」ということ。これを再認識して取り組んでほしいです。今年から、定期テストの満点は「100点」ではなくなります。そして観点ごとの点数だけ集計し、合計は出されなくなります。そして、素点表には「達成率」が表されるようになります。新しいことに取り組むとき、誰もが不安を感じたり戸惑ったりすることはあるでしょう。各教科でもしっかりと研修しながら取り組みたいと思います。変化といえば、現2年生の公立高校入試が大きく変わります。これも、やはり求められる力(育てたい能力)が変わり、小学校や中学校でのカリキュラムが見直されていることと深く関係しています。例えば、保護者の皆様の中学生時代、どんな授業を受けていましたか?今は、授業のあり方は大きく変容しています。「学び合い」なんていう言葉もなかったと思います。今は、どの教科でもコミュニケーション活動をたくさん取り入れます。自分の考えを「交流」します。たぶん授業参観などでは、自身の受けてきた授業とのギャップに不安になる方もいるのではないでしょうか。5、6年ほど前になりますが、「学び合い」の授業を参観した保護者の方が、「こんな感じの授業で、入試は大丈夫なのでしょうか、私達の頃は、教科書の太字を云々」ということを話をされていました。
 若い人たちの方が変化に順応しやすいのは、いつの時代も変わらないように感じます。授業のあり方や入試改革などにある種のアレルギー反応を感じるのは私達の方なのかもしれません。・・・・・閑話休題。
 こんな、難しい話をするつもりではありませんでした。もうすぐ修学旅行ですね。3年生は自然教室にいけませんでした。ぜひ、その分も楽しんでほしいです。修学旅行は学びですから、楽しんでばかりではいけないかもしれませんが、ただ純粋に楽しんできてほしいです。また、その様子は、ホームページで紹介できればと思っています。
 

●今日で登校21日目。「まだ?」「もう?」22年5月11日16時21分更新)

 連休が終わりました。「黄金」週間とはよくいったものです。ゴールデンウィークは、家庭でゆっくりできましたか?大会などもあるので、2、3年生のみなさんはあまりゆっくりできなかった人の方が多いかもしれません。1年生にとって中学校に入学後、初めてのゴールデンウィークは小学校の時の過ごし方とは一変することで、「連休を終えて、余計疲れた」という人もいるかもしれません。
 ところで、学校が始まり、1ヶ月が経ちました。登校日は、今日で「21日」。つまり、1ヶ月は経つけれど、実際にはまだ20日ほどしか教室には登校していないことになります。
 各教室では、係決めや体育祭のテーマ決めたり、そして学級目標や、体育祭種目の選手を考えたりと、本当に慌ただしい時間が流れていました。1ヶ月が経ち、生徒のみなさんは、クラスという集団、そして教室はどのように感じているのでしょうか。ようやく慣れてきたことで「良い部分も」そして「課題となる部分も」見えてきたことでしょう。
 これから、それぞれが、少しずつ何かを「我慢」してつくりあげられる教室、そして学年、学校。楽しみです。
 さて、体育祭練習が本格的に始まり2日目。運動があまり得意でなかったり、嫌いな人にとっては、少し、ゆううつな時間なのでしょうか。体育祭が楽しみでしかたない人はもちろん、そうでない人も、自分なりに精いっぱい取り組んでほしいと思います。それぞれが、できることを、できるようにやりきれば行事としては「成功」ですね。
 
 

●「スマホ18の約束」22年4月26日18時46分更新)

 久しぶりの更新です。今日は、突然の大雨。外で活動をしていた部活動は、せっかくの1年生の仮入部も途中で切り上げることになったようで少し残念そうでした。
 さて、今日は、少し長くなります。家庭で話題にしてほしいと思いここで紹介したいと思います。最近よく話題になる「携帯電話(スマートフォン)の使い方」の話です。
 内閣府が発表した平成30年度の「青少年のインターネット利用環境実態調査」では、スマートフォンを利用する小学生の約35%、中学生の78%、高校生の99%が自分のスマートフォンを持っているそうです。中学校の入学を機に手にする人が増えていることがわかります。これは平成30年度のデータですから、最近はさらに増えていることでしょう。
 
 今日の話題は、「スマホ18の約束」…2012年にアメリカのジャネル・ホフマンさんが13歳になる息子にスマートフォンをプレゼントする際に渡した「とりきめ」で、インターネットを通して、世界で話題になったものです。日本でもメディアで取り上げられたので知っている人もいることでしょう。
 
*以下に紹介している本文は、英語原文を訳したものです。一般的な訳文を紹介しますが、一部商品名などの記載は改変しています。
【以下、本文】

 グレゴリーへ メリークリスマス!あなたは今日からスマートフォンを持つことができます。やったね!あなたは責任感のある利口な13歳なので、このプレゼントはあなたにふさわしいとおもいます。しかし、このプレゼントを受け取ったからにはそれなりの約束を守ってもらいます。以下の約束を読んでおいてください。こんなルールがなくてもリテラシーを守ってテクノロジーや技術を享受できる健全な青年であることとわかっていますが、こうすることが私の役割だと理解してくれると信じています。

 これら18個のことが守れないようならすぐにスマートフォンをとりあげますよ。あなたのことを本当に愛しています。これからあなたと数千のメールをやり取りすることを楽しみにしています。

  1. これは私のスマートフォンです。私が買って、あなたに貸してあげています。私ってやさしいでしょ?
  2. パスワードは常に私に報告してください。
  3. これは電話です。鳴ったらマナーを守って必ず出て下さい。それがママかパパだったら絶対に出ること。
  4. 学校のある日は午後7時30分に、休日は午後9時00分にママかパパにスマートフォンを渡しなさい。次の朝7時30分までシャットダウンしておきます。友達の親が直接出る固定電話に電話出来ないような相手ならその人には電話もSMSもしないこと。自分の直感を信じて、他の家族も尊重しなさい。
  5. スマートフォンを学校に持って行ってはいけません。メールでやり取りする相手とは直接会話を楽しみなさい。会話は生きる上で大事なスキルです。
  6. もしトイレに落として水没させたり、地面に落として破損、紛失した場合は、修理費用は自己負担です。庭の芝刈りや赤ちゃんの世話、誕生日でカバーしてください。
  7. このテクノロジーを使って嘘をついたり、人を馬鹿にしてはいけません。ネットいじめに関わるようなこともしてはいけません。人のためになることを第一に考え、喧嘩に参加しないこと。
  8. 人に面と向かって言えないことを、この携帯を使いメールで言わないでください。
  9. 友達の両親の前で言えないようなことをメールでしないこと。自己規制してください。
  10. ポルノは禁止です。私と共有出来るような情報をネットで調べてください。もしわからないことがあるようなら、誰か人にきくようにしなさい。なるべく私かお父さんに聞いてね。
  11. 公共の場では電源を切るか、サイレンスモードにしなさい。特にレストラン、映画館など他の人としゃべっているときは気をつけなさい。あなたはだらしない人ではありません。スマートフォンがそれを変えるようなことがあってはいけません。
  12. あなたや他人のプライベートな写真を送ったり受け取ったりしてはいけません。馬鹿にしてもだめです。あなたは賢いですが、そういうことがしたくなる時期がやってきます。それはとってもリスクが大きく学校生活だけでなく人生さえも壊してしまう可能性があります。サイバースペースはあなたより巨大で強力です。一度広まってしまったら、解決するのはとっても難しいです。
  13. 膨大な数の写真やビデオを撮らないでください。すべてを記録する必要はありません。経験を大切にしてください。全てはあなたの記憶に残ることでしょう。
  14. ときにはスマートフォンを家に置いて行きなさい。スマートフォンはあなたの人生でもあなたを拡張するものでもありません。携帯なしで生活することを覚えてください。携帯を失うことを怖がるようなソーシャル依存症になってはいけません。
  15. 友達が聴いているような平凡な音楽ではなく、クラシックや前衛的な音楽をダウンロードして聴いてください。現在は昔と比べ音楽を簡単にダウンロードしたり聴けるようになりました。この環境を活用してあなたの視野を広げてください。
  16. 言葉ゲームや難しいパズルを解いて、脳をきたえなさい。
  17. あなたの周りで起きることを良く見てください。窓の外を見て鳥の声を聞いて、散歩に出かけ、知らない人とも話すようにしなさい。スマートフォンの検索機能に頼らないで探し求めなさい。
  18. 問題があるようなら、スマートフォンを没収します。そして一緒にそのことについて話し合います。またやり直しましょう。あなたと私はいつも何かを学んでいる。私はあなたのチームメイトです。一緒に答えを出して行きましょう。

これらの約束を守ってくれることを願っています。これらはスマートフォンだけでなく、人生にも通じることです。あなたは早く変わり続ける世界のなかで成長していきます。刺激的で魅力的な世界です。できるだけシンプルに物事を考えて行ってください。自分自身の力強く大きな意思やこころを信じて、機械やガジェットなんかに負けないでね。 あなたを愛しています。スマートフォンを楽しんでね。メリークリスマス!お母さんより******

 スマートフォンはとても便利な機器ですし、スマートフォン、タブレットなどの機器を扱うスキルは早めに身に着けておくことも必要かもしれません。高校では最近、スマートフォンやタブレットなどからの「レポート提出」しか受け付けないような学校もあるようですし。しかし、その扱い方を正しく指導するのは大人の責任であります。その危険性や、ルールを家庭で話し合い、子どもがそれに納得できないなら「使わせない」勇気を大人がもつ必要があるのでしょう。そんなことを感じます。

「与えて、子どもの自主性に」というのは、残念ながら難しいのが現状です。子どもたちは折に触れ、自分に都合のよい解釈をしますし、経験のなさから危機察知能力も大きくありません。こちらが気を付けていても、「事件に巻き込まれる可能性」だって多分にあります。むしろ、日々取り上げられている年少者のスマホトラブルや事件は、気付くと被害者(加害者)になっていることが多いといいます。…と書いておいて、ここで啓発的な話をしたいわけではありません。でも、もし、お子さんがスマホをほしい!などと言ってきたときや、スマートフォンの扱い方で困ったときに解決のヒントになるのではないでしょうか。

 

●1年生の仮入部が始まりました22年4月16日18時41分更新)

 入学式から10日が経ちました。まだ、少し様子を見ている感じもしないわけではありませんが、1年生の教室はとても元気です。多くのみなさんが「新しい自分」を意識したり、これまでの自分をリセットしたいと考えるこの季節。そんな様子もみられます。
 教科の授業も始まっていますが、小学校までの授業とはやはり違いが大きく、少し戸惑っている様子も見られます。先日、13日(水曜日)には学級懇談会を行いました。例年は、授業参観も行うところですが、今年度は参観は実施せず。残念だったという声もきかれました。11月のたまかん祭の日にも授業参観を予定しています。そのときは実施できると嬉しいです。
 さて、15日(金曜日)からは、1年生の仮入部が始まっています。やはり、先輩と接するのは緊張するのでしょう。集合場所に集まる1年生の表情はこわばっているように感じられました。しかし、練習が始まると優しく接してくれる2、3年生に1年生はホッとした表情を浮かべていました。部活動は、3年間続けてほしいと思います。仮入部の日は多くありませんが、興味がある部活動をのぞいてみてください。きっと、自分の居場所が見つかることでしょう。
 1年生だけではありませんが、子どもたちは、「新しい生活への変化」に少しでも早く馴染もうと一生懸命です。しかしご家庭では、「子どもが何も話してくれない…」「子どもが手紙をださない…」と成長に合わせて子どもたちの家庭での関わり方にも少なからず変化が見られる時期でもあります。それは、大きな不安につながることもありますが、子どもたちが成長している証ですから、温かい目で見守っていただければと思います。とくに、「子どもが学校のことを何も話さなすぎて、不安…」というような場合には、そっと、担任に聞いてみてください。きっと、ご家庭では見られない、子どもたちの一面をお伝えできるはずです。
 そういえば、今週は、学活で各種委員会やクラスの係活動も決めています。クラスだよりなどでお知らせする場合もあります。残念ながら「クラスだより」は、ホームページに掲載することはできませんが、そんな話題をふってみてください。
 2、3年生は、今、大会が始まり土日も部活動が忙しそうです。1年生のみなさまは、少しゆっくりできそうですね。また元気に、学校で会いましょう。
 

●新年度が始まり、それぞれの学年で。22年4月11日19時20分更新)

 正門前の桜もようやく、満開となりました。今年は、4月になってからも少し寒い日が多かったですから、体調を崩している人もいたように感じます。新しいクラスでの生活ももうすぐ1週間。学活では、学年集会を行ったり、クラスの集合写真をとったり、それぞれの時間を過ごしています。5月には体育祭がありますが、3年生を中心に、マスコットやダンスリーダー、応援団の活動も始まっています。
 少し遅くなってしまいましたが、入学式の様子と、生徒会オリエンテーションの様子を紹介します。もっとも、「紹介する」といっても、個人情報保護の観点から、全景の雰囲気が伝わるような写真しか掲載できません。「こんなのじゃ、わからない」という声も聞こえてきそうですが、どうかご理解を。
 新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、授業参観や行事での来校制限ができ、時には行事の中止などもやむを得ない状況が続いています。ご家庭と学校との距離は少し遠くなってしまいました。ただでさえ、「年頃で、子どもは学校のことを話してくれない」のに…ますます、どんなことをやっているのかわからない。そんな声から、雰囲気だけでも学校を身近に感じてもらえればと、このホームページで紹介しています。また、ここには、ふと思ったことや、普段感じていることをつぶやいています。さまざまなご意見もあるでしょうし、考え方も多様です。ここにつぶやいていることは、「学校としての意見・考え」ではありません。そんな考え方もあるのか、というようにゆる~く、考えていただき、ご家庭での話題にしていただけると嬉しいです。
 先週の金曜日と今日(11日)には、生徒会オリエンテーションが行われました。先週は、各種委員会(専門委員会)について、今日は、部活動についてのオリエンテーションです。部活動は、小学校のクラブ活動とはずいぶん違います。1年生のみなさんが体育館でみつめるその先には、パフォーマンスをする2、3年生の先輩然とした姿がみられました。仮入部は15日(金曜日)からです。
 
入学式の様子1
教職員紹介の様子から
生徒会オリエンテーション
 

●始業式、そして入学式も。22年4月6日9時37分更新)

 今日、始業式が行われました。いつもより、ちょっとだけ早めに登校している人が多かったように感じました。新しいフロア、新しい教室。午後には入学式です。有馬中、令和4年度始動です。
 

●【行事】さまざまな想いを胸に、吹奏楽部定期演奏会22年3月29日15時01分更新)

 3月27日(日曜日)に本校体育館で第11回吹奏楽部定期演奏会を開催いたしました。このところ新型コロナウイルス感染症拡大の影響を受けて開催できないでいました。吹奏楽部は、このところコンクールは観客なしで実施していたとのことで、保護者の方などがお子さまの演奏を見るのは初めてなのだとか。大きく宣伝はしていませんでしたが、体育館いっぱいの観客を迎えての開催となりました。もちろん、吹奏楽部のみなさんも緊張したことと思いますが、ご家庭の皆様もきっと感じるところが大きくあったのではないでしょうか。素敵な時間でした。
おつかれさまでした。
 

●令和3年度を終えて22年3月27日14時43分更新)

 3月25日(金曜日)に令和3年度の修了式を行いました。令和3年度もおしまいです。今年度も新型コロナウイルス感染症の影響を受けた一年ではありましたが、それでも、一昨年よりは「できたこと」も多かったのかと思います。修了式では、1年生、2年生、ハーモニー級の生徒がそれぞれ代表して1名ずつ「1年間の振り返り」を話してくれました。とても立派でした。さて、修了式では、校長先生が「当たり前のことが当たり前にできることのありがたさ」という話をされました。「失って、はじめてその大切さに気がつく」とはよくいったもので、そんなことを考えさせられる1年間でした。
 さて、同日、令和3年度離退任式も執り行いました。今年度をもって離退任される職員は12名です。
 今年度の離退任式は、在校生が教室で中継による参加とし、会場へは卒業生、保護者、地域の方の入場のみといたしました。前日のお知らせにも関わらず、準備した200近い座席は埋まり、卒業生、保護者の皆様で体育館いっぱいになる状況でした。本当に、保護者の方や地域の方に支えられていることを実感します。
 

●新しい1年間に向けて。22年3月23日18時43分更新)

 昨日は、雪が振りました。ここ数日とても寒いので、嫌になってしまいます。せっかく膨らみ始めた桜のつぼみも、どうしたものかと困っているようです。正門前の桜は、入学式に間に合うのか、、、。少しむずかしいような気もします。こればかりは、どうしようもないですね。
 さて、そんななかでも、新しい季節は確実にやってきます。学校での1年の終わりは、「3月」。そして始まりは「4月」。1年間の終わりがもうそこまできています。そして、新しい1年の始まりも。3年生が卒業してから、1年生も、2年生も、最後の思い出づくりの時間を過ごしています。先週は、1年生が中止になった合唱コンクールで歌うはずだった合唱曲を録音するための練習をしたり、2年生が球技大会をおこなったり。今日は、1年生が球技大会をおこないました。昨日の雨のためにグラウンド状況が良くなく、バスケットボールなどはできませんでした。ドッジボールのみとなりましたが、それでもクラス対抗で大いに盛り上がっていました。クラスで過ごす時間はやはり、素敵ですね。とてもうらやましく感じます。
録音にむけての練習の様子、もちろん感染症対策もしています。
練習、その2
球技大会の様子、クラス対抗で。
このクラスで集まるのも、あと2日。
 

●登校するのも、あと1週間。22年3月18日12時01分更新)

 先週、卒業式を終えてから、校舎内は、ぽっかりと穴が開いたようです。1学年いないだけで、ずいぶん雰囲気は変わります。
 さて、1、2年生はというと、こちらも最終日に向けての時間を過ごしています。感染症拡大の影響から、合唱コンクールが中止になりました。最後に大きな行事が中止になったことは残念ですが、「できることをできるようにやる!」という今年の目標どおり、1年生は1クラスずつ合唱を録音したり、球技大会を行ったりして、学年やクラスでの時間を楽しんでいます。2年生は昨日球技大会を行い、今日、百人一首大会を行っています。来週の火曜日には1年生が球技大会を行います。とても楽しそうです。活動の様子は、また、紹介できれば、ここで。
 来週の金曜日に、令和3年度の修了式です。そして、クラスは解散。残りの1週間も、ぜひ、大切に。
 

●【行事】旅立ちの日、第42回卒業式を終えて22年3月9日20時37分更新)

 寒い冬を乗り越えて、まもなく「桜の季節」がやってきます。

 今日、桜の花が咲き始めるよりもひと足先に卒業式が行われました。卒業式は、厳かな雰囲気でした。残念ながら感染症対策の観点から、在校生の列席は、ありません。ただ、感染症が広まる前までも、在校生からは生徒会本部役員だけが出席するのが、本校の卒業式でしたが…。有馬中学校は、生徒数に対して体育館はそれほど広くありません。ですから、その他の生徒は、卒業式終了後に登校して「見送り」だけおこなうのが有馬の卒業式。卒業式というものは、「1年生から3年生までの全員で臨むもの」というイメージが強いかもしれません。つまり、「1年生や2年生は、3年生の立ち居振る舞いを体感」し、自分たちはそれに恥じない、またそれを上回る素敵な卒業式をつくる、という気持ちを育むことがひとつの流れとなるのです。

 今日の卒業式は、とても立派なものでした。この3年生も、先輩の卒業式を経験していないわけですから、その心構えや雰囲気づくりには戸惑った部分もあったかもしれません。けれど、「卒業」の意味を考えたとき、卒業式参列経験の有無を問わず自分たちのすべき立ち居振舞のあり方を理解されたのではないでしょうか。以前、有馬中の卒業式に生徒会本部役員として参列した生徒の感想を紹介します。これは、第36回卒業式(平成27年度)に参加した生徒の感想です。

 ちょうど、青学年の卒業式です。

 卒業式の日は、あいにく朝から雨が降っていて、とても寒かったです。でも、生徒会の本部役員として卒業生の皆さんにコサージュを渡す仕事の時に、朝からどこか、晴れ晴れとした表情で登校してきた「青学年」の方々は、心の中も晴れていたのではないかと思います。

 式の本番、拍手で卒業生の皆さんを迎え、外の寒さとは別世界のような温かい式が始まりました。卒業証書の名前を呼ばれた時の先輩方の声は澄んでいて、中には涙を流している方もいらっしゃいました。私は、卒業式で「泣く」のは当たり前ですが、すてきなことだと思います。それだけの思いが有馬中学校に込められてきて、たくさんの思い出の中の一部がこの有馬の地で刻まれてきたということは、この学校もまた、愛されているんだという実感につながりました。

 式の最後、退場する際、涙をこぼしながら、それでも前を向いて、凛々しく退場していった先輩方は本当にかっこよかったです。(原文ママ)

 今日、267名の卒業生のみなさんも、とても素敵な卒業式をつくりあげてくれました。そんな先輩方が築き上げてきた文化と伝統。これからは、在校生の皆さんは大切に育んでくれるはず。

 これから始まる新しい生活が、素敵なものになることを心より願っています。

 

●【行事】3年生、卒業前の時間を。22年3月6日17時21分更新)

 先週の月曜日(2月28日)は、3年生が卒業遠足へ行きました。場所は、よみうりランドです。新型コロナウイルス感染症の感染状況によっては中止しなければならないところでしたが、実施することができました。卒業式までのカウントダウンは始まっています。3年生は、多くの行事の中で感染症拡大の影響を受けてきました。もちろん、それは3年生だけではないし、本校に限ったことでもありませんが、「これまでの3年生が経験してきたこと」を知らずにいる部分も少なからずあります。「3年生での合唱コンクール」もそのひとつでしょう。けれど、その中で、試行錯誤しながら過ごしてきた時間は、卒業するみなさんにとり大切な経験となることでしょう。よみうりランドでの一日も、そんな大切な一日であったはず。
 卒業式は、9日です。
よみうりランドで。

●行事を成功させるためには。22年2月23日10時36分更新)

 「行事」といっても多様ですから、ひとくくりにすることはできませんが、行事を通して得られることはとても多くあります。ここで大切なことは「行事を行えば必ず学びを得られる」というわけではないこと。同じ行事であっても、人やクラス、学年、学校によって「得るもの」は質も量もまったく異なります。行事に取り組むことで、「以前よりも状況が良くなる」こともあれば、反対に「以前よりも状況が悪くなる」ことだってあります。行事の前には、「この行事をぜひ、成功させましょう」ということを耳にします。でも、それは、じつはとても大変なことなのだと感じています。ほとんどの行事は、一人ではどうにもなりません。体育祭も、合唱コンクールも、そして今一年生が実施中の自然教室などの大きな行事はもとより、クラス単位で行うレク大会などでも言えることです。たとえば、「人前で歌うことが誰よりも苦手な人」にとってみれば、合唱コンクールは、苦痛なものに感じられるかもしれませんし、それを乗り越えてまで「挑戦して何かを学びとろう」と思うには、余程大きなきっかけがなければ難しいことだと思います。そして、この「余程大きなきっかけ」は、その行事の中で作り出すのではなく、それまでの日常の関わりから築いていくものなのだと思います。「人前で歌うことが誰よりも苦手な人」は、きっとそうなる事情があるわけですから、そう簡単には変わることはできません。つまり、「合唱コンクールだけは歌うのが楽しいからがんばろう」とはならないのです。しかし、「歌うことは苦手だし、やりたくないけれど、この○○のためにやらなきゃ」と思うことはできます(○○は、クラスが一番わかりやすい例)。そんな、関わりが普段からあるかどうかが問われ、学びの成果として表れるのが行事なのです。
 ですから、歌うことが苦手で声が出せないことを責めたり、音程を外してしまう人に「おまえは、歌わなくてよい」などという風潮があるクラスでは、「この○○のためにやらなきゃ」とは絶対にならないのです。行事というのは、行事そのものにスポットを当てられがちですが、じつは日常の生活や振る舞い、そして関わりこそが、その行事の成否に大きな影響を与えるのです。学校現場では、コロナ禍において行事の縮小や練習時間の大幅な短縮が、当たり前のことになっています。「準備の時間が短いから、うまくいかなくとも仕方のないこと」と言われることがあります。確かに、現実的な「完成度」という点ではそのとおりでしょう。けれど、一方で「得られる成果」という点では、決して「仕方のないこと」とは言い切れないのです(臨時休業などが続いて登校自体ができない場合は難しいかもしれません)。こんな時代の行事だからこそ、普段のクラスや学年のあり方を見直し、大切にしなければならないのではないかと思います。コロナ禍になって、以前より「絆」というキーワードを耳にするようになりました。学校現場においても「絆」というのはいつの時代もテーマにあがってきたもので、よく学級目標や学年目標にも組み込まれます。「絆」は一緒に行事に取り組めば生まれるものではありません。あくまでも、その前段階の関わりが大前提としてあることを忘れずに過ごしたいものです。3年生は、あと少しで卒業ですし、1、2年生もあと1ヶ月でクラスは解散します。それぞれが、今のクラスにそんな想いをもって令和3年度を終えられることを願っています。
 1年生は昨日から八ヶ岳で、これまで1年間の関わりの成果が問われる宿泊行事に挑戦中。明日、たくさんの経験と思い出をもって帰ります。
自然教室の様子は【こちら
 

●公立高校入試も一段落。22年2月18日19時50分更新)

 15日から始まった、神奈川県公立高等学校の入学者共通選抜。昨日と今日は面接、特色検査が行われました。雪などの天候の影響もなく、一段落です。受検生の皆様、お疲れ様でした。合格発表は、3月1日。それまで、もう少し落ち着かない日が続きますね。少し、リフレッシュできる時間がもてるといいですね。
 さて、まだまだ寒い日が続いていますが、少しずつ新しい季節がやってきています。
 今日、学校の梅の木にはメジロが訪れていたようです(「ようです」というのも自分は見ていません…校長先生が見つけました)。コロナウイルスの感染拡大が始まって、生活環境や周りの様子がずいぶんと変わってしまいました。けれど、よくよく見てみると、これまでと何も変わっていない日常に気づくことがあるんです。以前、あるお便りに次のような文章を自分が書いたことを思い出しました。
 『最近、休日に近所を歩いてみたところ、田んぼに水がはられ苗植えも終わっていました。時期からすると当然ではありますが、これまでは、田んぼの様子を気にする余裕はなかったように思うので、新鮮な気持ちもしました。田んぼの中をのぞくと、オタマジャクシと、ザリガニがいました。世間は、外出自粛も緩和されたとはいえ、様々なところに感染症の影響がたくさん出ていますが、田んぼに水がはられていることや、その中にはずっと以前と変わらず、オタマジャクシも、ザリガニもいる。そんな、「変わっていないこと」に気づけたことに小さな安堵に似たような感情を抱く瞬間もありました。こんな時だからこそ、見えてくるものもあるし、見る時間があることもあるのだと思います。』
 「もう、感染拡大の前の生活には戻れない」というようなことをよく聞きます。
 確かに、生活様式の一面ではそうかも知れませんが、身の回りでの自然の営みは、じつは何も変わっていないのかもしれませんね。オタマジャクシや、ザリガニ、それに、メジロたちから見たら、今の私たち人間はどのように見えるのでしょうか。
 そういえば、今朝は、4階の教室から富士山がとてもきれいに見えました。
今の季節は、「空気が透明」な感じ。
梅の木に飛来したメジロ(学校長撮影)
梅の木に飛来したメジロ2(学校長撮影)
 

●いよいよ私立高校、一般入試、今日から。22年2月10日12時02分更新)

 今日から、神奈川県と東京都内の私立高校一般入試です。朝、電車の中や駅にはたくさんの中学生の姿がありました。大雪の予報が出ていますが、朝はまだ、ほとんど降っていなかったので電車も概ね、通常通りの運行だったようです。良かった。これから本降りになるようですから、帰り道、気をつけてください。来週は、公立高校の共通選抜も控えています。体調に気をつけて乗り越えてください。
 さて、今日は3年生は3時間授業。3年生も、卒業期特別時間割の期間が始まると、いよいよ卒業は目前です。
 

●新入生、標準服採寸等を実施中!22年2月5日10時41分更新)

 本日、令和4年度新入生の標準服採寸などを行なっています。たくさんの方が来校されています。朝早くからありがとうございます。また、体育館部活の皆さん、午前中空けていただきありがとうございました。

●【行事】1年生百人一首大会22年2月4日12時40分更新)

 2月2日(水曜日)に1年生が百人一首大会を行いました。源平合戦による班対抗、クラス対抗です。各班50枚を持ち札として、自分の陣地の札が先になくなった方が勝ちとします。相手の陣地の札を取ったら、自分の陣地の札を相手に送ります。1回戦しか行いませんでしたが、白熱した様子が見られました。なお、感染症予防の観点で、体育館と、克己館の両方を使い行いました。結果は…。
 

●2年生のフロアに。22年2月1日12時14分更新)

 2月になりました。もう、梅の花が咲いていますね。
 2年生のフロアにこんな掲示物が。

●「言葉」の力、生徒の作文から22年1月25日12時55分更新)

 今日は、ある生徒(在校生ではありません)が書いた作文を紹介します以下、茶色の部分が生徒の文章)

 『「うざい、死ね。」みなさんはこのような言葉を、いつも普通に使っているのではないでしょうか。この言葉は今では、クラスのあちこちで、当たり前のように使われているのです。そしてこの言葉一つで人を簡単に傷つけられるようになってしまっているのです。私はここで一つ疑問に思いました。-どうして言葉なんてうまれたのだろうか-最初、人類に言葉なんていうものはありませんでした。けれど次第に自分の気持ちを伝えるために言葉が生まれたといいます。それから人類が進化していくにつれて言葉は自分の気持ちを伝えるだけではなく、たくさんの人を傷つけるものに変わってきてしまっているのです。こうして私達が、これからもどんどん人を苦しませるような言葉を作り出していくかと思うと、もう虫や植物のように言葉なんてなくしてしまえばいい、言葉なんて必要ない、とそう思いませんか。

 しかし、言葉とはそう簡単に無くせるわけではないのです。例えば、友達がなにかを貸してくれた時、私達は必ず「ありがとう。」とお礼の言葉を言います。そんな時、もし言葉がなくこのお礼の言葉を言わなかったら相手はとてもいやな気持ちになります。今度は映画やドラマを思い出してみて下さい。映画やドラマには必ず、感動をする場面があると思います。それは、その役者の演技力に感動しているだけではなく、むしろその役者の言っているセリフ、いわゆる言葉に私達は感動をしているのです。もしもこんな時も、言葉がなく、演技だけの映画だったら感動はきっとうすれてしまうでしょう。このように言葉は私達の生活の中では、最も必要なものなのです。また言葉は人の気持ちを自由自在に動かせる、とても重要で大切なものなのです。

 私達は、ときどき相手の気持ちを考えずに、無意識のうち相手の傷つく言葉を言っていることがあります。言った自分は一秒たてば、もう忘れてしまいますが、言われた方は心に大きな傷ができ、それは一生もとには戻りません。言葉とは人を傷つけるためにあるのではなく、自分の気持ちを伝え、人を元気づけたり勇気をあたえるためにあるのではないでしょうか。また、言葉とは人と人との関係や信頼を深めるものでもあるのではないでしょうか。人間は実際、虫や植物とはちがい、言葉がなければ、生きてはいけないのです。そのくらい、言葉というのは私達の人生の中で命の次に大事なものだと思います。これから先もずっと、人間は言葉をたくさん使って生きていくと思います。ですから、もう絶対に人の傷つく言葉を、つくり出さないようにしていかなければいけないと思いました。みなさんも、相手の傷つく言葉をいわないように、相手の気持ちをよく考えながら一日を過ごしてみてはどうでしょうか。

 私は以前、こんな体験をしたことがあります。それはあることでショックを受けた私が暗やみのどん底にいるようなときでした。その時、友達がそんな私を見て、「大丈夫だよ。そんなことを気にするな!」と声をかけてくれました。その一言で私は、心の中のモヤモヤとしたものが一気にとれて、まるで地ごくから天国にと救われたような気持ちになりました。それに、私があることをあきらめかけていたときも、そばにいた友達の一言で勇気をもらい立ち直ることができました。私はこんな体験をして友達の一言でこんなにも自分の気持ちが大きく、ゆれ動くことに、改めて言葉の力を考えさせられました。(終わり)

 この文章を読んで何を感じましたか?言葉は人間社会で生きていく上では絶対不可欠なもの言葉はその使い方一つで研ぎ澄まされた刃物にも、また、どんなものにも効く万能薬にもなると思います。たとえば、「うざい」という言葉も、まるで、挨拶でも言うかのように使われる場面を目にします。でも、やはり、それはおかしいことだと思います。そんな感覚を育むことも、大切なことです。

●明日から、私立推薦入試。22年1月21日11時49分更新)

 明日から、いよいよ東京、神奈川の私立推薦入試。受験する生徒は、先週から、今週にかけて面接練習を行いました。「練習」とはいえ、普段関わりのない先生方に担当してもらう場合もあり、緊張している様子。どんなに準備をしても、緊張してしまうのは仕方のないことですね。できていたことが、できなくなるのが入試ですから。ある3年生が、「面接の中で、緊張して噛んでしまったらどうしよう」「覚えたことを忘れちゃったらどうしよう」と気にしていました。暗記したことを話そうとせず、当日は、面接官とコミュニケーションをとることを意識してください。高校の先生方は、受験生が緊張していることは百も承知。言葉がつまったりしても、高校の先生方は、そんなに気にしません。小さなことは気にせず、まず、自分をしっかりと表現してきてほしいです。
 明日は、晴れそうです。
 今日は早めに寝て、落ち着いた朝を迎えてほしいと思います。
 

●正門前の桜は22年1月18日20時06分更新)

 正門前に大きな桜の木があります。先日、下校指導中にふと見上げると、枝の先にふくらんだ新芽をみつけました。まだ、茶色ですが、そのふくらみは着実に大きくなり、新しい季節の到来を感じさせてくれるものでした。
 と、いう話をしておきながら、まだまだ朝晩は寒さ厳しく、まだ、春は遠いように思えてしまいます。朝、布団から出たくないのは私だけではないはず。そんなみなさんへのおすすめは、目覚まし時計の二段活用。本来の起床時間の1時間前に鳴らす。そして、「あぁ、あと1時間も寝られる」という幸せを感じることです。
 このところ新型コロナウイルス感染症の拡大も続いています。世の中が少し、ピリピリしていますから、小さな幸せを見つけて心に余裕を持ちたいものです。3度寝にはご注意を。
 

●ことばの奥にある、本当の“ことば”22年1月14日18時20分更新)

 「対話=コミュニケーションとは」…今、3年生は入試直前で、緊張感のある雰囲気です。公立入試まではあと1ヶ月ありますが、私立推薦入試は目前です。3年生は面接練習なども繰り返し行いながら、来る日に備えています。最近は、私立高校を中心に面接を重視している学校も増えています(公立高校も面接の割合が高い学校は少なくありません)。ある高校の先生の話によると、面接では、「対話力」を見るのだとか。ここでいう「対話力」をもう少し聞き慣れたことばにすると「コミュニケーション力」と言い換えることができるでしょう。3年生は、面接の練習をしています。「こう聞かれたら、こう答えよう」とか、「志望動機は、こう答えよう」、そんな感じに喋る答えを準備しています。ですから、そこで多くの人が面接の際に意識することは、「覚えたことを、つまづかないで言い切れるかどうか」ということになります。
 質問を受けて、その質問に対して「覚えたことをすらすらと答えられた」としてもそれは「対話」していることにはなりません。対話や、いわゆるコミュニケーションとは、その場で「発せられたことば」をその場で理解し、それに対して意見や思いを発することなのです(実際は、難しいですね、とくに入試では…)。高校の入試面接では、多くの場合「受験生は準備してきていること」を前提とした上で、面接官が意外な質問をしてくることがあります。予想外の質問をすることで、受験生の素直な考えや言葉を引き出そうとするのです。
 話が変わりますが、人は「気持ちを察する」能力を持ちます。最近は「空気を読む」とか「空気が読めない」ということを、「KY」などと簡単に扱うようだけれど、これは個人的には嫌いです。人が周りや人のことを察するということは、もっともっと大切にされるべき行為だと思います。私たちは、言葉を使います。言葉は私たちの考えや気持ちを伝える、不可欠なコミニュケション手段だということは授業で習っているし、普段の人とのかかわりの中で実践していることだと思います。学び合いなどの協同的な学びの場をつくるのはまさにそんな能力を育むことが目的です。
 私たちは、時として発する言葉の中に、本当に伝えたいことを包み隠して表現することがあります。それは例えば、優しさや思いやりの言葉であったり、厳しい戒めの言葉であったりと、さまざまな表現の中に隠れています。「本音とたてまえ」という言い方は少し違うかも知れないけれど、でも、ストレートにものをいうことばかりが良い結果をもたらすとは限りません。「なぜ、わかってくれないの…」、「そんな意味でいっているんじゃないんだぞ」…歯がゆい気持ちに支配されて、どうにもいたたまれない気持ちになることがあります。でも、「伝わるように、言えない自分が悪いのだ」と自己嫌悪に陥ることも。
 人は「言葉」を使い、ものを伝えようとするのだから、言われた言葉をそのまま受け取ると、妙な誤解や行き違いが生じることはよくあります。けれど、多くの場合、本音や、本心はその言葉の後ろに隠れていたりするのです。その後ろに「込められていること」を察することができるのも、また人間です。けれど、その本当の気持ちに気づかないのではなく、気づこうとしていないこともたくさんあるように感じます。気付かない方が幸せなこともあるかもしれないですね。けれど、その見えない部分と向き合うことが、本当の信頼関係を築いていくことに不可欠なことだと思います。こんな話をすると、「だったら、はじめから、そのまま伝えればいいじゃん」という声が聞こえてきそう。でも、人の気持ちというのはそんなに簡単なものではないと思えてしかたがないのです。
 3年生の皆さん、肩肘をはらずに、リラックスして面接に臨めるといいですね。
 

●リセット。22年1月11日12時16分更新)

 はやいものですね。もう2022年になり、10日が過ぎました。以前、1月の末に、「今年も、あと11ヶ月でお終いか」といったら、なんだそれはと笑われましたが、あっという間に過ぎていると感じるのは私だけではないはず。
 さて、今日の話題は、「リセット」。「新しい年」というやつは、どのように過ごしていても、365日が経てばやってくるわけで特別なことではありませんが、やはり「特別な」ものに思えてしまいます。皆さんは、新年にやることはありますか。自分はいつも、一年が終わり、新しい年を迎えるその瞬間に取り組むことがあります。
 「目をつぶり、何も考えないこと」…これに全力を費やします。頭の中では白をイメージして、何も浮かんでこないように、そして何も考えないことに全神経を集中させるのです。めざすのはただ、「無」になること。「去年」と「今年(新年)」との間に「空白」を作ることで、気持ちだけでもリセットできれば、きっとそこには新しい可能性と希望があるはずだと考えた、高校3年生の冬から続けています。当時は受験という現実から逃げようとしていたのかもしれません。それでも、不思議と「空白」のイメージをつくりだすことに成功した年は、良い形でスタートできていると感じています。要するに、「気持ちの問題」なのでしょう。しかし、この「気持ち」はとても大切ですよね。去年の経験を今年に生かすことにも「リセット」は必要なことなのかもしれません。
 次の年越し、皆さんも試してみませんか。「リセット」を。
 

●後期授業が再開。22年1月7日23時57分更新)

 後期授業を再開しました。今日は、朝会からスタート。
 校長先生のお話では、「久しぶりの雪、ワクワクしましたか」という話題が。私は、ワクワクしました。どうして雪を見るとワクワクするのでしょうか…。自分自身が小さな頃、雪が降ると嬉しくて、そしてどうにか雪をもっと降らせるためにどうすれば良いのか考えた末、冷凍庫から氷を山程持ち出して、こっそりと外に置いていたことを思い出しました。幼稚園で先生が、「雪は寒いとたくさん降る。」そんな話を聞いたのがきっかけだったように思います。生まれ育った地は雪がほとんど降らない場所でしたから、とにかくワクワクしました。
 そして大人になり、大学で出会った友人にそんな話をしたところ、北国出身の友人は「雪でワクワクするなどありえない、雪はうんざりするものだ」と言っていました。その頃はあまり気にならなかったけれど、今なら、わかるような気もします。このところ、日本の多くの地域で強い寒波により例年以上の積雪となっているというニュースを耳にします。そして、雪下ろしなどの作業を強いられた結果起こる痛ましい事故なども少なくありません。その友人の言葉のうらには、ただ単に、「それが日常生活の一部にあるかないか」がワクワクという感情につながるのか、それともうんざりという感情につながるのかを意味するのではなく、もっと大きな死活問題につながるものがあったように思います。豪雪地帯といわれるような北国での苦労や、事故のニュースを目にするたびに思い出します。
 でも、ワクワクしますね。今日の皆さんの登下校の様子を見ていても、そんな様子が見て取れました。
 それで、いいと思います。
 けれど、そんなときに少しだけ、「雪で並々ならない苦労をしている人」がいることにも気づける(気づかえる)ような力を身につけてほしいし、そんな授業をしたいものだと思いました。
 さて、明日から3連休。成人の皆様方、おめでとうございます。
 

●いよいよ学校が再開22年1月5日12時33分更新)

 冬休みもあっという間に終了。授業が再開します。2期制の川崎では単なる「授業再開」ですが、3期制の学校にとっては、いわゆる「3学期」です。個人的には3学期という方が、「いよいよまとめの時期だな」という心構えができて好きなのですが…。
 

●本年も、よろしくお願いいたします22年1月1日11時22分更新)

 新しい一年が始まりました。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
 

●2021年もお世話になりました。21年12月30日16時03分更新)

 こんにちは。晦日になりました。2021年もあと一日でおしまいです。今年も、新型コロナウイルス感染症に大きく影響された一年でした。しかし、皆様のご理解とご協力をいただき、多くの取り組みに挑戦することもできました。2021年は終わりますが、学校としての一年は、まだあと少し続きます。引き続きご理解とご協力をお願いいたします。受験生のみなさんは、あまり「正月」という感じにはないかもしれませんが、くれぐれも体調に気をつけて。生徒、保護者の皆様、地域の皆様方、よいお年をお過ごしください。
 

●三者面談を終えて21年12月28日16時43分更新)

 こんにちは。冬休み、いかがお過ごしですか。街の様子もすっかり冬休みの様相。子どももたくさんいるし、家族連れも増えています。先日までは、クリスマスソングが流れていたけれど、もう、年越しの準備ですね。長期休業になるとご家庭の皆様は、食事の準備なども増えて、たいへんかもしれません。以前、面談で、「夏休みや冬休みなんて子どもたちが嬉しいばっかりで、母親にとってはなんにも…食事の準備や洗濯物も増えるし(ため息)」という声を聞いたことを思い出します。
 さて、1、2年生の保護者の皆様は、三者面談にお時間をいただきありがとうございました(少し前の話題ですが)。たった15分ちょっとの時間ですが、なかなか、学校に来ていただくことが難しい現状では、とても貴重な時間となりました。学校での様子を見ていただく機会が格段に減った去年から、今年にかけて、不安なことも多くあると思います。多感な時期ですから、なおさらですね。ちょっとした子どもの一言で、いろいろな想像をしてみたり…。でも、声をかけてみても「別に。」と返ってくると、心配の気持ちから、イライラの気持ちが強くなることも。
 学級懇談会や三者面談の時期になると思い出すことがあります。以前、担任をした生徒のお母さんがこう話していました。
『子どもを見ていると毎日がスリルとサスペンスです。ホント、親って大変。決して、良い親になろうとしているわけじゃないし、がんじがらめでしばっているつもりはないけれど「自由がほしい」なんて言われちゃうと、やはり「厳しすぎたのかなぁ」と思う反面、「甘ったれるな」と思ったり。思春期って「今はすごく寒くて空の色も暗くて、いやだいやだ、早く暖かい春にならないかなー。」と現実に背を向け嘆きながらも淡い希望を抱いて、自分の将来に期待している、まさに“春を思う時期”なんですね。』と。
 面談では「子どもは、何考えているのかわりません、さっぱり。」と話す、そのお母さんも、自分自身の経験などを振り返ってみたりしながら、子どもを理解しようと懸命に努力している様子でした。
 自分自身も親として「そうだね。暖かい春はかならず来るから大丈夫。一緒に楽しみに待とうね。」と広い心で向き合える余裕を持ちたいと思いますが…。難しいですね。しかし、子どもたちは、家庭での様子と学校での様子がまったく違うこともよくあります。面談は、そんな一場面を共有する時間でもあるのです。
 全生徒に「去年よりも今年、今年よりも来年と、素敵な春を迎えさせてあげたい」と思う気持ちは、全職員同じ想いです。これからも、ご家庭や地域の皆様と協力して子どもたちと向き合いたいものです。
 

●普段の様子や、出来事、感じたことを何となく。21年12月24日15時39分更新)

 こんにちは。新型コロナウイルス感染症の感染拡大後、私達の生活は大きく変わりました。今でこそ、「新様式」なんていう言葉もだいぶん定着してきて、「できることを、できる範囲でやる」方針が打ち出されていますが、去年は、多くの行事が中止になったりもしています。今年は、学校行事を行なっても、ご家庭の方の来校制限などのご協力のお願いをしなければならない状態が続いています。これまでは、体育祭や授業参観、それに合唱コンクールなど、お子さんの学校での様子を見る機会はそれなりにありました。けれど、今はそれもなかなか難しい状態です。この状況がいつまで続くのか、、、。
 さて、そんな中で、学校からの大切な連絡の共有ツールとして活用を始めた「学校ホームページ」ですが、最近は、定期的に確認をされている方も多く、おかげさまでこのホームページも皆さまのなかに定着してきたといえるのはないかと思っています。特に、修学旅行や校外学習の様子を特集して紹介してみましたが、予想以上の反応が見られました。そこで、このホームページで日常的に普段の様子を伝えてみるようなことができないかと考えています。先日の三者面談でも、「年頃で、まったく学校のことを話してくれません!」というような声もあったようですが、少しでも、学校の様子にふれていただく機会になればと思います。
 ご家庭だけではなく、生徒のみなさんに向けてのページでもあります。多くの人に、見ていただけるとうれしく思います。
 基本的に更新は不定期です。そして、学校生活の様子や行事を通して感じたことなどを「つぶやく」感じで更新します。写真などをたくさんアップすることもできないと思います。また、率直な感想や考えを綴ることもありますが、あくまでも「一つの考え方」だとご理解ください。そんな考え方もあるのかと、そして、お子さまとコミュニケーションをとるきっかけなどにしていただけると嬉しいです。広い心でおつきあいください。(管理者)