「管理者のつぶやき。」より抜粋

●行事を成功させるためには。

 (おことわり)以下の記事は、投稿時ままの表現です。年度末に投稿した記事です。
 
 「行事」といっても多様ですから、ひとくくりにすることはできませんが、行事を通して得られることはとても多くあります。
 ここで大切なことは「行事を行えば必ず学びを得られる」というわけではないこと。
 同じ行事であっても、人やクラス、学年、学校によって「得るもの」は質も量もまったく異なります。行事に取り組むことで、「以前よりも状況が良くなる」こともあれば、反対に「以前よりも状況が悪くなる」ことだってあります。
 行事の前には、「この行事をぜひ、成功させましょう」ということを耳にします。でも、それは、じつはとても大変なことなのだと感じています。ほとんどの行事は、一人ではどうにもなりません。体育祭も、合唱コンクールも、そして今一年生が実施中の自然教室などの大きな行事はもとより、クラス単位で行うレク大会などでも言えることです。
 たとえば、「人前で歌うことが誰よりも苦手な人」にとってみれば、合唱コンクールは、苦痛なものに感じられるかもしれませんし、それを乗り越えてまで「挑戦して何かを学びとろう」と思うには、余程大きなきっかけがなければ難しいことだと思います。そして、この「余程大きなきっかけ」は、その行事の中で作り出すのではなく、それまでの日常の関わりから築いていくものなのだと思います。「人前で歌うことが誰よりも苦手な人」は、きっとそうなる事情があるわけですから、そう簡単には変わることはできません。つまり、「合唱コンクールだけは歌うのが楽しいからがんばろう」とはならないのです。しかし、「歌うことは苦手だし、やりたくないけれど、この○○のためにやらなきゃ」と思うことはできます(○○は、クラスが一番わかりやすい例)。そんな、関わりが普段からあるかどうかが問われ、学びの成果として表れるのが行事なのです。
 ですから、歌うことが苦手で声が出せないことを責めたり、音程を外してしまう人に「おまえは、歌わなくてよい」などという風潮があるクラスでは、「この○○のためにやらなきゃ」とは絶対にならないのです。
 行事というのは、行事そのものにスポットを当てられがちですが、じつは日常の生活や振る舞い、そして関わりこそが、その行事の成否に大きな影響を与えるのです。学校現場では、コロナ禍において行事の縮小や練習時間の大幅な短縮が、当たり前のことになっています。「準備の時間が短いから、うまくいかなくとも仕方のないこと」と言われることがあります。確かに、現実的な「完成度」という点ではそのとおりでしょう。けれど、一方で「得られる成果」という点では、決して「仕方のないこと」とは言い切れないのです(臨時休業などが続いて登校自体ができない場合は難しいかもしれません)
 こんな時代の行事だからこそ、普段のクラスや学年のあり方を見直し、大切にしなければならないのではないかと思います。
 コロナ禍になって、以前より「絆」というキーワードを耳にするようになりました。学校現場においても「絆」というのはいつの時代もテーマにあがってきたもので、よく学級目標や学年目標にも組み込まれます。
 「絆」は一緒に行事に取り組めば生まれるものではありません。あくまでも、その前段階の関わりが大前提としてあることを忘れずに過ごしたいものです。
 3年生は、あと少しで卒業ですし、1、2年生もあと1ヶ月でクラスは解散します。それぞれが、今のクラスにそんな想いをもって令和3年度を終えられることを願っています。