東菅小学校の周辺

 

東菅小学校の周辺には、まだ緑が多く残り、名産の梨畑もあちらこちらにみられます。春には、真っ白な梨の花が咲きほころび、秋には、府中県道沿いに梨売りの小屋が開きます。また、この町の北を多摩川が流れ、南に多摩丘陵が広がり、その中腹には、神社仏閣が点在していています。学区には大きく分けて「菅」「寺尾台」の2つの町があります。

 

菅の地名   寺尾台の地名
大昔、多摩川は多摩丘陵と武蔵野台地との間の低地を自由に幾筋も流れていましたが、その川筋が多摩丘陵の山すそからだんだん北に移動し、天正18年、夏の大洪水により氾濫してから現在のような流路に変わりました。広い平地には、「スゲ」が群生していました。そのために「菅」という地名が付けられたと、新編武蔵風土記稿に書かれています。   平安時代の初期に築造したと推定される八角形の仏堂があったことから、生まれたという説と、この地域一帯を支配した寺尾若狭之守という豪族の館があったことにちなんで名付けられたという説があります。

 


 

玉林寺
  学校の南隣にあり「洞雲山玉林寺」と称し、寿福寺11世、蔵雲山法沢西庵和尚が開山した古い寺です。
 寺の境内には、天保年間に造られた「六面地蔵塔」や恵心僧都作と伝えられる「聖観世音菩薩」など、33体の観音像がまつられています。
 この観音堂に参拝すると、西国霊場33ヶ所を巡礼たと同じことになるといわれています。
 本堂には、本尊の「釈迦如来像」と文化文政の頃描かれたといわれる「大涅槃像(だいねはんぞう)」があります。
     
子之神社
   昔、矢の根(矢尻)を源義経が母親(常磐御前)からもらい受け、菅のあるお寺に納めました。
 その後、村の人々は、近くにあった「子神」(ねのかみ)の祠(ほこら)にこれをご神体としてまつり、村の鎮守としました。
 そのことがあってから、「根の神社」と呼ばれるようになったと言い伝えられています。
 明治6年に「子の神社」と名前を改めました。
 10月9日には、秋祭りが盛大に行われます。また、正月9日には、弓で的を射る儀式が行われています。
     
長松寺
   室町時代に南樹法泉禅師(なんじゅほうせんぜんじ)が調布の源正寺や細山の香林寺とともに開山したと伝えられています。
 本尊「延命地蔵尊」は、弘法大師の作と伝えられています。
 石地蔵が多く、各家の墓地には、異なった形態の石地蔵が安置されています。