地域教育会議とは
1980年代、子どもを取り巻く暴力の嵐が吹き荒れる中で、川崎市でも金属バット両親撲殺事件や野宿生活者殺人事件等が続発しました。
これを受けて「神奈川の教育を考える県民会議」発足に続き、川崎でも1984年「川崎の教育推進事業」の一つとして、「川崎の教育を考える市民会議」が開催されました。この市民会議では、「子ども達のために今、私たちは何をしたらいいのか」をテーマに、2年間にわたり全市242カ所で、総計4万人が集い、6,500件の意見を集約する市民討議が展開されました。
これと並行して川崎の教育推進事業の中で、教育のあり方について調査・研究することを目的に「川崎市教育懇談会」が組織され、1986年にその調査研究結果が「いきいきとした川崎の教育をめざして」として報告されました。これは、「元気」をキーワードに、子ども・大人(親・教員)・地域が連携しつつ、(1)教育の社会化(開かれた学校)、(2)地域の教育化(生涯学習の推進)、(3)行政の市民化(市民の参画)の3つを柱に据えて、新たな教育を推進していく構想を提示したものです。
この中の具体的提言の一つに、地域教育会議の創設がありました。
1988年には行政区で「教育を語る集い」が開催され、1990年から数区ずつ、地域教育会議が立ち上がり、1997年には全51中学校区と全7行政区での地域教育会議がスタートしました。
この間、1992年に中学校区での「教育を語る集い」が、また日本が「子どもの権利条約」を批准した1994年には全市と行政区で「子ども会議」が開催され、翌年には各中学校区でも地域教育会議でも「子ども会議」を開催されました。
その後、社会の変化などもあり80年代のような状況とは大きく変わっていますが、現在も子どもたちを取り巻く課題は多く、子どもたちのために、地域として「できること」や「やりたいこと」はたくさんあります。
発足当時の思いや理念を大切にしたうえで、「子どもがいきいき育つまち おとなも楽しく学べるまち」をめざして、活動を続けています。
(川崎市教育委員会 地域教育会議についてより抜粋)